天正14年(1586年)大坂城。上杉家家臣の直江兼続(妻夫木聡)は、主君の景勝(北村一輝)とともに、豊臣秀吉(笹野高史)に謁見していた。兼続の有能さは諸国の武将たち知れ渡っており、秀吉は兼続を自らの家臣にしようと呼び寄せたのだ。 兼続が優れた人物に育ったのは永禄7年(1564年)越後・上田庄で起きた事件がきっかけだった。同年7月坂戸城主・長尾政景(村田一道)が、上杉輝虎(後の謙信/阿部寛)の参謀・宇佐美定満(真木仁)と、野尻湖で溺死する。長尾家の家臣たちは、輝虎が仕組んだ暗殺と、すぐさま城に集まり戦の準備。混乱する場内に与六(後の兼続)の父・樋口惣右衛門(高嶋政伸)もいた。そこに突如輝虎が現れ、残された政景の妻・桃(高島礼子)と10歳の息子・喜平次(後の景勝/溝口琢矢)と対面する。桃は輝虎の姉である。その年の秋、輝虎は喜平次を狩に連れだし自らの養子にすると伝える。そして喜平次は坂戸にある寺・雲洞庵で、侍としての修業を始める。 一方、5歳の与六(加藤清史郎)は将来、喜平次の家臣になるため、親元から離れ、同じ雲洞庵での生活を始めるのであった。
永禄7年(1564年)冬、5歳の与六(後の兼続/加藤清史郎)は喜平次(後の景勝/溝口琢矢)とともに、越後上田庄の寺・雲洞庵で修業生活をしていた。坂戸城では、輝虎(後の謙信/阿部寛)が姉・仙桃院(高島礼子)に喜平次は大将の器だと言い、さらに、与六は北天の王を守る北斗の七星だと、語り合うのだった。 そんな二人の思いを知らず、与六は生意気ゆえに、住職である北高全祝(加藤武)に叱られてばかりで友もいない。一方、喜平次は無口さゆえに、周囲の子どもたちと馴染めずにいた。 ある夜、与六はさみしさから実家を目指し雪の中、雲洞庵から抜け出す。気づいた喜平次は後を追う。何とか実家にたどり着いた与六だったが、母・お藤(田中美佐子)に追い返される。喜平次はそんな与六に「母上はお主を捨てたのでない。この喜平次にくだされたのだ。わしの側にいてくれ」と語りかける。この温かい言葉にむせび泣く与六。与六と喜平次の心が通った瞬間だった。 時は流れ、天正元年(1573年)、越後と信濃の国境近くの川中島の妻女山。14歳になった兼続(妻夫木聡)と同じく景勝(北村一輝)の家臣・泉沢久秀(東幹久)が武田の様子を探っていた。すると二人の前に武田軍の重臣・高坂弾正(大出俊)が姿を現す。上洛中であるはずの武田軍に不穏な動きがあると感じる兼続。 一方、天下統一を目指す織田信長(吉川晃司)は武田信玄を迎え撃つため、兵を進めていた。 天下の情勢は大きく変わろうとしていた。
天正元年(1573年)4月、上杉軍の軍議で熱い議論がかわされていた。兼続(妻夫木聡)は、景勝(北村一輝)の考えとして、武田軍の様子がおかしいので、京に兵を進めるべきと進言するが、謙信のもう一人の養子・景虎(玉山鉄二)は混乱する越後国内を鎮めるべきと主張、謙信(阿部寛)は景虎の意見を支持する。 景勝と景虎は何かにつけて比べられるライバルであった。軍議の帰り道、兼続は、ある騒動に巻き込まれる。そこで上杉家の家老・直江景綱(宍戸錠)の娘・お船(常盤貴子)に出会いきまずい思いをする。 そして翌日、兼続は出陣を祝う宴の席で再びお船と会う。宴の余興で優美な景虎の能の舞が披露され、景勝の順番となるが、無骨な景勝は踊ろうとしない。場がしらけそうになる。その時、兼続が景勝に代わって、上田に伝わる陽気な踊りを披露、場は和やかさを取り戻す。 数日後、兼続は、景勝の妹の華姫(相武紗季)から、景勝がお船に好意を持っていると知らされる。兼続は、名誉挽回と景勝のため偽の手紙をお船に送る。気まずさを引きずったまま景勝は出陣の日を迎える。
天正元年(1573年)7月、越中の混乱を治めた上杉軍は春日山に戻り、祝い宴を開いていた。席上、だれもが、景勝(北村一輝)・景虎(玉山鉄二)二人の活躍ぶりに酔いしれていた。 北条氏からの養子である景虎の身の上を、ずっと不憫(ふびん)に思っていた謙信(阿部寛)は、景虎を真に上杉家の人間として迎えるため、景勝の妹の華姫(相武紗季)と婚儀を決意する。 早速、兼続(妻夫木聡)は祝いの品を買いに、お船(常盤貴子)と二人で、直江津の町に出かけた。帰り道、雨に降られた二人は、浜辺の漁師小屋で雨宿りをすることになり、気まずい雰囲気に陥る。 一方、その頃、兼続の実家の樋口家では、母・お藤(田中美佐子)が病で床に伏すことが多くなっていた。 翌年、天下統一を狙う織田信長(吉川晃司)から謙信にいきなり洛中洛外図が送られてくる。その絵には、御所に向かう謙信らしき武将の姿が描かれていた。兼続は、絵は信長の謙信に対する挑戦状と考え、真意を確かめるため、信長の使者として来た初音(長澤まさみ)とともに、信長のいる岐阜城へと旅立つのだった。
天正2年(1574年)5月、兼続(妻夫木聡)は上杉家の使者の一行に加わり織田信長(吉川晃司)のいる岐阜城を訪れる。初音(長澤まさみ)の手助けで、信長に会う兼続。信長に義の精神をぶつけるが、信長は古くさい考えと一蹴、秀吉(笹野高史)に密かに兼続を殺すよう命じる。 その兼続の危機を救ったのは、のちの石田三成こと佐吉(小栗旬)だった。翌年、長篠の戦い。信長は鉄砲を導入した戦法で武田を破り、越後を脅かすように近づく。 上杉家の家臣たちは謙信(阿部寛)に出陣を促すが、戦で多くの人命を失うことを案じる謙信は動こうとしない。そんな折、お船(常盤貴子)が兼続に会いにきて、間もなく婿をとることになると告げる。ショックを受ける兼続。 一方、景勝(北村一輝)は謙信に、今の世に義の精神を貫き、越後のような清く安穏の国を作ることが上杉家の使命と強く説き、ついに謙信は信長を討つ決意を固める。そして、兼続は初陣を迎えるのだった。
織田信長(吉川晃司)を討つため、越中に侵攻した上杉謙信(阿部寛)率いる上杉軍は、圧倒的な強さで敵の山城を攻め落としていった。ようやく初陣がかなった兼続(妻夫木聡)も張り切っていたが、命ごいをする若い兵士を切ることができず落ち込む。そんな兼続を「戦に涙は無用」と叱咤(しった)する上杉景勝(北村一輝)。兼続は戦の厳しさを学ぶ。 上杉軍は越中を平定、さらに加賀から能登へ入り、難攻不落の七尾城を包囲した。そんな時、直江景綱(宍戸錠)が病に倒れ春日山へ戻る。そして、お船(常盤貴子)の婚儀が決まる。相手は上野長尾家の景孝(山下真司)。兼続への思いを秘めたお船を、仙桃院(高島礼子)は「武家の女子はつらいもの」と言って慰める。 七尾城を攻めあぐねていた上杉の陣中では、景勝と景虎の家臣同士のいさかいが起こっていた。景虎の家臣たちが、犬に景勝の幼名「喜平次」と名づけてからかっているのを見て兼続が激怒、思わず相手に切りかかる。騒ぎを起こし、処分を待つ兼続。すると突然初音(長澤まさみ)が現れ、信長が戦で勝利すると予言して立ち去る。 謙信は兼続に「心が迷っている。故郷・上田庄で己を見つめなおせ」と言い渡し、兼続は失意のまま陣を去る。
上杉謙信(阿部寛)に蟄居(ちっきょ)を命じられた兼続(妻夫木聡)は、故郷・上田庄の雲洞庵にこもり、自らを見つめていた。そこに弟の与七(小泉孝太郎)が訪ねて来て、母・お藤(田中美佐子)の容態がよくないことを伝える。家に帰るよう説得する与七に、兼続は勝手な真似はできないと拒む。 その頃、北条氏政(画面には登場せず)が関東の上杉方の諸城の攻略を再開。上杉軍は七尾城攻めを中止し、春日山へ取って返す。直江景綱(宍戸錠)は戦に参加できないことを謙信にわびるが、謙信は景綱こそ第一の家臣とねぎらう。三日後、景綱が亡くなる。 北条を抑えた謙信は、再び七尾城を攻め、お船(常盤貴子)の夫で直江家の跡取りとなった直江信綱(山下真司)も参戦する。 一方、兼続のもとに、母の危篤の知らせが届く。意地を張り帰ろうとしない兼続に、北高全祝(加藤武)は「己の真を見つめ、それに従え」と叱咤(しった)。急ぎ家へ戻る兼続。兼続の顔を見たお藤は静かに息を引き取る。自らの親不孝を責める兼続に、全祝は強くなれと諭す。そして、お藤の四十九日法要の日、参列したお船を送った兼続は、紅葉の木を見て、「紅葉のように(人のために尽くす)家臣になりなさい」という母の言葉を思い出し、二度と涙は見せまいと心に誓うのだった。
ようやく七尾城を攻め落とした上杉謙信(阿部寛)は、信長(吉川晃司)を討つため、さらに兵を進め、加賀・手取川に陣を構えた柴田勝家(菅田俊)率いる信長軍に夜襲をかける。雨で鉄砲の使えなくなった織田軍は苦戦、結果は上杉軍の大勝に終わる。しかし、謙信はそれ以上追撃せずに兵を引くのだった。 一方、兼続(妻夫木聡)の蟄居(ちっきょ)はまだ解かれずにいた。そこに初音(長澤まさみ)が現れ、上杉軍が織田軍に大勝したことを知らせる。年が明け、ようやく兼続の蟄居が解かれた。兼続は、景勝(北村一輝)の家臣に加えてほしいとせがむ与七(小泉孝太郎)とともに春日山へ戻る。久しぶりに兼続に対面した景勝や上田衆たちは兼続を温かく迎える。 上杉軍は再び出陣の準備を進めていた。いよいよ天下取りとはやる景勝や景虎(玉山鉄二)に、謙信は、戦いの目的は足利幕府の再興にあり、自分は天下を目指す気がないことを告げる。衝撃を受ける景勝・景虎に、謙信は、この世には天下を取るより大切なことがあると諭す。謙信は、兼続に、迷うことで己の義が見えてくると説き、兼続こそ自分の唯一の弟子であると告げる。感極まる兼続だったが、その後突然、謙信が病に倒れる――。
天正6年(1578)3月、関東出陣を目前に控えた時、突然上杉謙信(阿部寛)が病に倒れる。動揺する家臣たちを景虎(玉山鉄二)は「動じるな」と一喝して鎮める。景虎の器量を認める家臣たちの間で、景虎こそ跡継ぎにふさわしいとの声が高まるが、景虎は「今は御屋形様の回復を願うのみ」といさめる。 兼続(妻夫木聡)は謙信の看病を申し出る。しかし、必死の看病にも関わらず容態は回復せず、ついに謙信は、兼続に「そなたの義」とひと言だけ残して息を引き取る。謙信は遺言を残さなかったため、上杉家は家督を巡って景勝(北村一輝)派と景虎派に分かれ大混乱に陥る。 それを見かねた妙椿尼(みょうちんに・萬田久子)は、謙信が「家督は景勝に」と遺言を残した、と嘘をつく。真実を知る仙桃院(高島礼子)は妙椿尼を責めるが、上杉の混乱を鎮めるため、この嘘を真実として生きていくことを決意。仙桃院は兼続にも遺言が嘘であることを知らせる。動揺する兼続だったが、「すべての泥は私がかぶる」という仙桃院の決意の前に、これを受け入れる。そして、お船(常盤貴子)にその覚悟を毅然(きぜん)と言い放つ。 景勝は喪主を務めることになり、兼続や上田衆も葬儀の準備に追われる。そんなとき、遺言を不審に思った景虎派の柿崎晴家(角田信朗)が景勝に夜討ちを仕掛けてくる。
謙信(阿部寛)の遺言を不審に思った柿崎(角田信朗)は、景勝(北村一輝)に夜討ちを仕掛けるが、すんでのところで泉沢(東幹久)に切られ絶命する。景勝の家臣たちは、景虎(玉山鉄二)の仕組んだことではないか、と疑うが、その景虎が現れ、自分は知らぬ、と潔白を訴える。しつこく問い詰める兼続(妻夫木聡)に、景虎は自尊心を深く傷つけられる。お船(常盤貴子)は兼続に、景虎が腹を立てていることを伝え、景虎をおろそかにせぬよう忠告する。 翌日、謙信の葬儀が行われた。その夜、兼続の父、惣右衛門(高嶋政伸)は、急いで春日山城本丸をおさえるよう兼続と与七(小泉孝太郎)に指示する。景虎の家臣から北条家に送られた密書を入手したのだ。兼続は景勝に知らせるが、景勝は、義兄弟を裏切ることはできない、と拒否する。惣右衛門は、兼続と与七に、先に本丸に乗り込むよう命じ、景勝は自分が説得すると伝える。 本丸を目指す兼続と与七。そこに上田衆も駆けつけ景虎側との小競り合いの末、本丸をおさえることに成功する。争いを避けたい兼続は、仙桃院(高島礼子)に仲裁に入るよう懇願するが、そこに景虎が現れる。本丸占拠を兼続の仕組んだことを疑う景虎は、兼続に猛然と切りかかる――。
春日山城本丸占拠を兼続(妻夫木聡)の策略と疑う景虎(玉山鉄二)は、兼続に切りかかるが、仙桃院(高島礼子)が立ちふさがり、その場を鎮める。景勝(北村一輝)に対する不信感を募らせる景虎。そこに景虎を跡継ぎにしようとする家臣たちが集結し、ついに景虎は景勝と戦うことを決意、戦の準備を進める。 一方、お船(常盤貴子)は、仙桃院に、景勝のもとに戻るよう説得するが、仙桃院は、景虎のもとに残り身を挺(てい)して戦を止めると言う。お船は兼続に仙桃院の意思を伝える。仙桃院の固い決意を知った兼続は、自分のしたことが正しかったのか悩むが、お船は「自分も同じ立場なら同じことをした」と勇気づける。 景勝軍、景虎軍ともに戦の準備が整い緊張が高まっていた。しかし、景勝は、この戦に義があるのか、悩んでいた。兼続は景勝こそ謙信の義の心を受け継ぎ清い国を築くことのできる主君である、と励ます。 ついに戦が始まった。戦いは景勝軍の優位に展開する。景虎軍は状況を打開するため、御館へ陣を移す。景虎は華姫(相武紗季)に景勝のもとに戻るよう申し渡すが、華姫は、生涯景虎の側にいることを誓う。そして、春日山城では、長引く戦に兵糧が尽きかけていた――。
長引く戦で春日山城の兵糧が尽きかけていた。兼続(妻夫木聡)は兵糧を運び込む道を探るが、どこも景虎軍におさえられていた。景虎(玉山鉄二)のもとに、実兄、北条氏政(画面には登場せず)より援軍を知らせる書状が届く。景虎は、この機を利用して北条は越後に攻め込むつもりと、真の狙いを見抜く。 一方、甲斐の武田勝頼(市川笑也)のもとにも、越後に攻め込むよう、北条から書状が届く。家臣の高坂弾正(大出俊)は、上杉と同盟を結ぶべきだ、と諭すが、勝頼は取り合わない。 兼続は、かつて謙信が春日山を守る最後の要(かなめ)に据えた村、桑取に頼ることを思いつく。桑取は扱いにくい集落とされていたが、兼続は「人は話し合えばわかるもの」と、自ら使者になることを申し出る。桑取に向かう道で、兼続は一人の老婆、トメ(草笛光子)を助け、「話し合いに刀は無用」と刀を預ける。 桑取に着いた兼続は、桑取の長、斎京(さいきょう)三郎右衛門(高杉亘)を必死に説得するが、三郎右衛門は頑として応じない。そこに現れるトメ。実はトメは三郎右衛門の母であった。トメは三郎右衛門に、兼続が刀を預けて来たことを伝える。兼続の一途な気持ちを感じた三郎右衛門は、景勝に味方することを誓う。 その頃、北条軍が越後に近づいていた。
兼続(妻夫木聡)の活躍により兵糧を確保した景勝(北村一輝)軍だったが、景虎(玉山鉄二)との戦は、依然として膠着(こうちゃく)状態が続いていた。 そんな折、武田が景虎に加勢、武田の軍勢が、越後と信州の国境まで迫っていた。さらに、景虎には北条の援軍もあり、景勝軍に不安が広がっていた。景勝の家臣、栗林(平泉成)と深沢(鈴木正幸)が、北条を食い止めるため、上田庄に戻ることを決意。二人の決死の覚悟に、兼続は、上杉の侍としての生きざまを学ぶ。兼続は、状況を打破しようと思案を巡らせるが、良い考えが浮かばない。父・惣右衛門(高嶋政伸)に「己の力の限りをつくせ。母が言った紅葉の教えを忘れるな」と叱咤(しった)される兼続。そして、ついに兼続は、武田と和ぼくするという策をひねり出す。長年の宿敵である武田との和ぼくに、景勝や重臣たちは猛反発するが、兼続は「越後を守ることがなにより大事」と景勝を説得、景勝も納得する。そして、兼続は自ら武田への使者に名乗り出る。 兼続は、泉沢(東幹久)、与七(小泉孝太郎)とともに武田の陣に侵入、そこで武田家重臣、高坂弾正(大出俊)と会う。兼続の誠実な交渉が実を結び、高坂は兼続に和ぼくをまとめることを約束する。危機を脱した景勝軍だったが、あらたな脅威が目前に迫っていた――。
兼続(妻夫木聡)が武田との和ぼくをまとめてきたひと月後、再び武田が進軍を始めたとの知らせが入る。動揺の走る景勝軍に、もはや決死の覚悟で討って出るべきとの声が高まる。納得がいかない兼続。そこに和ぼくをまとめると約束した武田家重臣、高坂弾正(大出俊)が急死したという知らせが入る。兼続は、もう一度武田と談判させてほしいと景勝(北村一輝)に懇願するが、聞き入れてもらえず、景勝は毘沙門堂にこもってしまう。 そんな兼続を、お船(常盤貴子)は、自分も兼続と同じ思いであり、兼続なら殿を説得できるはずと励ます。兼続は景勝が考え直すまで毘沙門堂の前に座り込む。最初は兼続の真意をはかりかねていた泉沢(東幹久)ら上田衆も、兼続は戦の責任を感じているという惣右衛門(高嶋政伸)の言葉を聞き、兼続とともに座り込みをする。兼続たちの熱意に感じ入った景勝は、生き抜いて上杉家を守り抜くことを決意、再び武田と談判するため、兼続ら上田衆を使者として送る。 兼続の必死の交渉により和ぼくは成功、武田は軍を引く。ひとまず難を逃れた景勝軍だったが、景虎(玉山鉄二)に加勢しようとする北条の大軍が越後に向けて進軍を開始する。上杉家では、武田家との結びつきを強めるべきとの声が高まり、武田勝頼の妹・菊姫(比嘉愛未)を景勝の妻として迎えることを決める。
天正7年(1579年)、武田と手を結んだことにより、御館の乱は景勝(北村一輝)方の優勢となった。景勝の家臣から、御館に総攻撃を仕掛けるべきとの声が上がるが、兼続(妻夫木聡)は仙桃院(高島礼子)と華姫(相武紗季)が気にかかる。景勝は仙桃院と華姫を引き渡すよう景虎(玉山鉄二)に書状を送るが、景虎は拒否する。 そんな折、お船(常盤貴子)が、使者として御館に行くことを申し出る。上杉家のためなら命も差し出すというお船の必死さに、景勝も了承。御館に着いたお船は仙桃院と対面し、戦の責任を感じているなら上杉の行く末を見届けるべき、と進言する。仙桃院は、景虎に謙信の思いを無駄にしないためにも降伏してほしいと懇願。景虎は降伏し、人質として嫡男の道満丸を差し出す。 ところが、春日山へ向かう途中で道満丸が何者かに暗殺される。景虎は景勝の仕業と思い込み、反撃を開始、景勝はやむをえず御館へ総攻撃を仕掛けることに。景虎は華姫とともに逃げるが、追いつめられ自害を決意する。その寸前に兼続が現れ、道満丸暗殺が景勝の仕業でないことを釈明。ようやく景勝に裏切られたわけではないことを知った景虎だったが、上杉家の未来を景勝に託し、華姫とともに自害を選ぶのであった。
兼続(妻夫木聡)は景勝(北村一輝)から家老になるよう持ちかけられる。御館の乱の責任を感じて上杉家から退こうとしていた兼続だったが、景勝は、苦しくても越後を守らなければならないと説得する。 一方、信長(吉川晃司)の軍勢は越中に侵攻、その脅威が越後にも迫っていた。そんな折、武田との和ぼくの証として、武田勝頼(市川笑也)の妹・菊姫(比嘉愛未)が景勝の妻となる。婚儀の夜、武田を守ると誓ってほしいと迫る菊姫に、景勝は約束はできないと正直に答えてしまう。景勝の婚儀の知らせは徳川家康(松方弘樹)のもとにも届く。上杉家に優秀な策士がいるとにらんだ家康は、服部半蔵(画面には登場せず)に探りを入れさせる。 景勝と菊姫の夫婦仲を案じた兼続は、仙桃院(高島礼子)に菊姫に会ってほしいと願い出る。仙桃院と菊姫が話しているとき、兼続が現れ、菊姫に見せたいものがあると執拗(しつよう)に言う。それは越後に春の訪れを告げる雪割草であった。兼続はこの花のように心を開いてほしいと菊姫に懇願、菊姫も打ち解けるようになる。 景勝は、景虎方の残党を一掃し越後を平定。ようやく御館の乱が終結する。兼続は家老となり、上田衆もそれぞれ城持ちとなる。しかし、重臣のなかには兼続の出世を快く思わない者もいて、やがてそれが信綱(山下真司)の身に…。
兼続(妻夫木聡)の出世を快く思わない毛利秀広(長谷川公彦)は、信綱(山下真司)、山崎専柳斎(石井洋祐)と口論になり、二人をきり殺してしまう。責任を感じた兼続は景勝(北村一輝)に家老職から身を引きたいと願い出るが、受け入れてもらえない。 悩む兼続に景勝と仙桃院(高島礼子)は信綱の代わりに直江家を継ぐように言う。戸惑う兼続だったが、上杉家のため、主命だというその言葉に従う。天正9年(1581年)、兼続はお船の夫として直江家に婿入りし、直江兼続となる。 一方、信長(吉川晃司)の軍勢は、着々と越後を包囲しつつあった。信長軍を食い止めるため、吉江(山本圭)と安部(葛山信吾)が願い出て魚津城へ入る。 その頃、信長は秀吉(笹野高史)の家臣、石田佐吉(小栗旬)と対面していた。直接の部下にならないかと持ちかける信長に、佐吉は言葉巧みに断る。信長軍は武田領に進攻、城を次々と攻め落としていく。武田の危機に、景勝は援軍を送ろうとするが、勝頼(市川笑也)はこれを断る。結局、勝頼は自害し、武田家は滅亡する。 そんな折、信長はささいなことから逆上し明智光秀(鶴見辰吾)を足蹴(あしげ)にするが、それを徳川家康(松方弘樹)がとりなすのだった。 春日山では、気落ちしている菊姫(比嘉愛未)に、景勝はこれからも妻でいてほしいと伝え、菊姫は初めて夫婦であることを実感する。 依然として信長軍の勢いは衰えず、ついに越後を包囲。そして魚津では激しい戦いが繰り広げられていた。
信長(吉川晃司)の軍勢に包囲された越中・魚津城では、吉江(山本圭)、安部(葛山信吾)らが必死に防戦していた。景勝(北村一輝)は魚津へ向かおうとするが、越後を手薄にすることはできず、苦渋の思いで踏みとどまる。 5月、織田軍の攻撃は激しさを増し、ついに魚津城は本丸を残すのみとなる。目先の勝ち負けにとらわれていては信長には勝てない、と考えた兼続(妻夫木聡)は、一旦魚津に援軍に向い、敵が越後領内に入ったところで急きょ引き返して討つ、という奇襲作戦を考案。景勝と泉沢(東幹久)のみに話す。景勝もこれを了承し、出陣の命を出す。出陣準備におわれる兼続のもとに、与板衆の援軍が駆けつける。夫の身を案じたお船(常盤貴子)の計らいだった。直江家家宝の短刀と一房の黒髪も届けられ、お船の気持ちに兼続は勇気づけられる。 上杉軍は魚津側の天神山に陣をかまえる。そこに敵軍が越後領内に進軍したとの知らせが入り、兼続は一同に作戦を打ち明ける。反発、動揺する上田衆たちを景勝とともに説き伏せた兼続は、魚津城本丸に乗り込み、ろう城組に降伏するよう説得する。しかし、吉江も安部も上杉の侍として武士道を貫きたい、と拒否。兼続に上杉の未来を託して城に残る。兼続と景勝は吉江らの思いを胸に、急ぎ越後へ引き返すのだった。
織田軍を討つため、越後へ引き返した上杉軍だったが、すでに敵は撤退していた。兼続(妻夫木聡)は追い打ちをかけるが、すんでのところで逃げられてしまう。自分を責める兼続に、景勝(北村一輝)は少し休むよう命じる。 直江屋敷に戻った兼続をお船(常盤貴子)が待っていた。戦で疲れている兼続をいたわるお船。初めて夫婦らしい時間を過ごす二人は、お互いに最初からひかれあっていたことを告白、夫婦としての気持ちを確かめ合う。 一方、京では、明智光秀(鶴見辰吾)が謀反。本能寺にいる信長(吉川晃司)を急襲。逃げるようにとの初音(長澤まさみ)の説得もむなしく、絶体絶命の危機にひんした信長のもとに、突如謙信(阿部寛)の亡霊が現れる。人の心は力では動かせないと諭す謙信に、きれいごとではこの世は直らないと反論する信長。謙信の言葉を反すうし、信長はその生涯を閉じる。 そのころ、魚津城は総攻撃をかけられ、ついに陥落。上杉軍にも緊張が走るが、織田軍は次々と撤退、ほどなく越後にも本能寺の変の知らせが届く。しかし、すでにそのころ、光秀は備中より京にとって返した秀吉(笹野高史)に討たれていた。 時代の大きなうねりを感じた兼続は、越後と上杉のため、己の信じる道を進む決意をあらたにするのだった。
光秀を討った秀吉(笹野高史)は、信長の嫡孫・三法師を跡継ぎに推し、その後見として主導権を掌握。そして賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いでライバルの柴田勝家(菅田俊)を討ち果たし、関白に就任した。天正13年(1585年)本能寺の変からわずか3年後のことだった。 一方、越後では、兼続(妻夫木聡)のもとへ初音(長澤まさみ)が訪ねてくる。秀吉に対する上杉の態度を探るためであった。初音は、真田庄へ向かうと言い残して立ち去る。 やがて、春日山城に秀吉の使者が来た。景勝(北村一輝)との会見を望み、秀吉自ら越後まで出向くという。上洛を迫られると察した景勝は会見を拒むが、兼続は会って断るべき、と説得し、景勝も了承する。しかし、景勝は会見では一言も話さないと宣言する。 落水(おちりみず)での会見の日。秀吉は三成(小栗旬)を伴って会見の場に現れる。会見は景勝、兼続、秀吉、三成の4人のみで行われた。一言も話さない景勝は、逆に威圧感を与え、会見は順調に進む。やがて兼続たちの読み通り、秀吉は上洛を求めてきた。兼続は拒もうとするが、景勝は上洛を約束する。 会見後、兼続は景勝に意地を通すより越後のために決断したと明かされ、感動するのだった。その夜、宴(うたげ)が催された。兼続は三成に話しかけるが、その歯にきぬ着せぬ言動につい腹を立ててしまう。
落水(おちりみず)の会見後の宴席で、けんか騒動を起こした兼続(妻夫木聡)と三成(小栗旬)は、席を抜け出し二人きりで話をする。三成は、兼続に越後の民だけではなく、日本国の民を思うことが大事であり、秀吉(笹野高史)はそのために天下人になろうとしているのだと話す。兼続は、三成のその言葉に心を動かされるが、幸せは国が豊かになること以上に、友や仲間がいることが大事だと持論を語る。互いに興味を覚え、二人は別れる。 一方、秀吉と景勝(北村一輝)の会見のことは、浜松の徳川家康(松方弘樹)のもとにも届く。秀吉と上杉の接近をけん制する家康は、まず真田を攻略しようとする。 そんな折、仙桃院(高島礼子)が、菊姫(比嘉愛未)が懐妊したと勘違いする出来事が起こる。景勝から、騒ぎの収拾を任される兼続。 その最中(さなか)、なぜか三成が再び兼続を訪ねてやって来る。三成の相変わらずの横柄な態度に閉口する泉沢(東幹久)をはじめ上田衆たち。その夜、兼続は帰ろうとする三成を引き留め、宴(うたげ)を開く。仲間の上田衆や百姓たちと陽気に騒ぐ兼続。三成は自分にはない兼続の素直さ、人を思いやる姿を目の当たりにして、兼続への思いを改める。このことがきっかけでお互いに認め合い、二人に友情が芽生えるのであった。
春日山に真田の使者として初音(長澤まさみ)が来る。驚く兼続(妻夫木聡)。初音は、自分が真田の娘であることを明かし、徳川の脅威から真田を守るため、盟約を結んでほしいと申し出る。泉沢(東幹久)は反対するが、景勝(北村一輝)はこれも上杉の義、と了承する。 兼続のもとに惣右衛門(高嶋政伸)が訪ねてくる。兼続より年下の女性と再婚したという。驚く兼続だったが、父の幸せそうな様子に何も言えない。 ほどなくして真田から人質が来る。若き真田幸村(城田優)だった。泉沢は幸村に槍(やり)の試合を申し出る。試合は泉沢が勝つが、幸村は不敵な笑いを残して立ち去る。翌日、泉沢の槍が紛失、泉沢は幸村が盗んだと疑うが、幸村は答えない。幸村をあずかることにした兼続は、海を見せに行く。そこで語り合う二人。乱世では裏切られる前に裏切ることもある、と言う幸村に、裏切られても信じる生き方の方が楽しい、と説く兼続。しかし、幸村は心を開こうとしない。 そんな折、徳川軍が上田に進軍。景勝は援軍を送り、兼続は幸村を上田に返す。人質を返し、さらに援軍も送る上杉に、幸村は義の心を感じる。戦は真田軍が勝利し、幸村も戻ってくる。兼続に弟子にしてほしいと乞(こ)う幸村。義の心を受け継ぐ武士の誕生であった。
秀吉(笹野高史)に上洛の約束をした景勝(北村一輝)だったが、突然上洛を取りやめると言い出す。兼続(妻夫木聡)は、お船(常盤貴子)に言われて景勝を故郷の上田庄に誘う。 上田庄を訪れた兼続と景勝は、病に伏せている栗林(平泉成)を見舞う。景勝は「上洛しても上杉の誇りだけは捨てないでほしい」という栗林の言葉に胸を熱くする。そして、兼続と景勝は雲洞庵を訪れる。幼い与六(加藤清史郎)、喜平次(溝口琢矢)のころの思い出がよみがえり、二人はあらためて主従のきずなを確かめ合う。北高全祝(加藤武)は、上洛を迷っている景勝に一枚の書を渡す。それは景勝が幼いころに書いた「第一義」の言葉であった。「迷いは信念を心にすえる礎」という全祝の言葉に、景勝は上洛を決意。 上洛の日が迫るころ、兼続は自分の義にふさわしい言葉を探していた。お船は最初に考えた「愛」の文字がよいと助言する。仁愛の愛、越後の民を愛する思いが自らの力の源であると兼続も納得し、「愛」の文字を兜の前立てにあしらう。上田衆たちは面食らうが景勝は兼続にふさわしいと励ます。 出発の日、仙桃院(高島礼子)は、「義」と「愛」がそろえば恐れるものはないと二人を鼓舞する。颯爽(さっそう)と行軍する上杉軍に、兼続の愛の兜がひときわ輝いていた。
天正14年(1586年)5月、景勝(北村一輝)率いる上杉軍4千は上洛の途についた。途中、加賀で秀吉(笹野高史)の重臣・前田利家(宇津井健)の出迎えを受ける。利家は、京では辛抱するよう景勝に助言する。 翌月、上杉軍は京に入った。宿所には、千利休(神山繁)の娘・お涼(木村佳乃)が世話役として控えていた。お涼は秀吉への献上品である太刀を物足りないと断じ、秀吉を喜ばせるため、太刀袋を金襴にするよう兼続(妻夫木聡)に助言。大坂城での対面に備える。 秀吉との対面の日。狙い通り、金襴の太刀袋に喜ぶ秀吉だったが、刀より金をとる秀吉に、景勝は幻滅する。秀吉との対面が済むと休む間もなく、北政所(富司純子)や重臣たちへの挨拶回りが待っていた。 夜、疲れきって大坂の宿所に戻った景勝を、秀吉の重臣・福島正則(石原良純)が酒宴に誘う。正則は二人を帰そうとしない。見かねたお涼がとりなすが、正則は取り合わず、ついにけんかになり、お涼は正則を投げ飛ばす。お涼の活躍に感心した兼続は素直にそのことを伝えると、お涼は兼続を好きになったと告げる。 翌日、さらに重臣たちからの招待を受けるが、自分のしていることに疑問を持った景勝は拒否する。兼続が必死に説得しているそのとき、ついに景勝が倒れてしまう。
景勝(北村一輝)が病に倒れる。兼続(妻夫木聡)は景勝の代わりにあいさつ回りに奔走、その堂々とした振る舞いに利家(宇津井健)も感心する。 兼続が秀吉(笹野高史)から呼び出される。そこに幸村(城田優)がいた。真田は徳川・北条の脅威に耐えきれず秀吉になびいたのだ。秀吉は兼続も家臣になるよう迫るが、兼続ははぐらかす。 兼続は諸大名との付き合いを深めていくが、招かれるのは兼続のみで、景勝の存在は薄れていく。 そんな折、兼続のもとに初音(長澤まさみ)が逃げてくる。それを猿飛佐助(白倉裕二)から知らされた幸村が現れ、初音を引き渡すよう迫る。初音は人質として行った北条氏政(伊吹吾郎)のもとから逃げてきたのだ。幸村は、初音を救うには兼続が秀吉の家臣になり、その褒美として助けてもらうしかないと言うが、兼続は拒む。兼続は、初音を助けるようお涼(木村佳乃)に頼むが、初音は姿を消す。 初音を探す兼続に、三成(小栗旬)が立場をわきまえろ、と強く忠告。さらに、茶会の席で秀吉が兼続に家臣になるよう迫ると教える。 一方、景勝のもとに千利休(神山繁)が訪れ、景勝の身に危険が迫っていることを知らせる。茶会の前夜、景勝と兼続は、一連の動きは上杉を滅ぼすための罠(わな)であると判断、ともに屈しないことを誓う。
兼続(妻夫木聡)は景勝(北村一輝)につき従い、大坂城で開かれた秀吉(笹野高史)の茶会に出席。秀吉は満座の中で兼続を自らの家臣にしようと砂金の山を積むが、兼続は自らの主は景勝以外にいないとその誘いを突っぱねる。 宿所に戻った兼続は、家臣の志駄(信太昌之)が景勝の命で文箱を燃やそうとしているのを見かける。その文は景勝の遺言だった。そこにしたためられた言葉に、兼続は景勝の自分に対する信頼の深さを感じ、その言葉を一生の宝とすることを誓うのだった。 越後帰国が近づく中、景勝は秀吉の推挙により、従四位下左近衛権少将の官位を賜る。その席を辞した兼続に千利休(神山繁)が自らの心中を吐露する。が、合点し難い兼続。 帰国途上、兼続は三成(小栗旬)を訪ねる。初音(長澤まさみ)の無事を知り、安堵(あんど)。息災を祈る。 一方、浜松の家康(松方弘樹)は茶会のいきさつを知り、あらためて天下のすう勢を読み、上洛を決意。秀吉は家康に上杉と同様、東国の守りを託す。そこには上杉と徳川、互いにけん制させる意図があった。そして、愛用の陣羽織を与える。
天正15年(1587年)、景勝(北村一輝)は越後を平定、春日山に平和が訪れる。小国家へ婿に入り与七から名を改めた実頼(小泉孝太郎)は、妻・お栄(小沢真珠)や義父母(牧村泉三郎・福井裕子)から手柄のないことを責められ、肩身の狭い思いをしていた。 そんな折、実頼は景勝の名代として聚楽第落成の祝いの使者となり上洛するよう命ぜられる。上洛した実頼は秀吉(笹野高史)に謁見(えっけん)、その側には茶々(深田恭子)がいた。実頼は秀吉から官位を授かり、さらに茶々から名字を大国と変えるよう言われる。越後に戻った実頼は上洛の報告をするが、兼続(妻夫木聡)は官位を受けたことを責め、けんかになる。 翌年、秀吉から再度の上洛を促す書状が届く。景勝と兼続にも官位を授けたいというのだ。あきれながらも二人は上洛し、実頼も同行する。兼続は三成(小栗旬)の計らいで秀吉と内々に謁見、上杉の忠義に官位は無用と言い放つ。秀吉は謝罪するが、それでも官位は受けてほしいと懇願、兼続も了承する。その様子を見ていた実頼は、兄のきぜんとした態度に畏敬(いけい)の念を抱く。兄の側では成長できないと悟った実頼は、自分を京に残してほしいと兼続に頼む。以降、実頼は上杉と豊臣の橋渡しの役を果たすことになる。 京滞在中、兼続は家康(松方弘樹)から利休(神山繁)の茶室に誘われる。そして、愛の字をめぐって問答しながら、互いに心中を探り合う。 春日山に戻った兼続に、お船(常盤貴子)は懐妊したことを告げる。待望の子に喜ぶ兼続だった。
出産を控えたお船(常盤貴子)は与板城に戻っていた。そこへ惣右衛門(高嶋政伸)と妻・よし(西原亜希)が見舞いに来る。 一方、兼続(妻夫木聡)は家老職で多忙であった。そんな折、京の実頼(小泉孝太郎)から書状が届く。それは勢力を拡大しつつある伊達を討て、という秀吉(笹野高史)の命だった。兼続は政宗(松田龍平)に会って説き伏せることにし、景勝(北村一輝)も了承する。 政宗と対面した兼続は、戦をやめるよう説得するが政宗は取り合わない。そんな政宗の姿に、兼続は亡き信長の影を見る。力では人の心はつかめないと諭し、兼続は政宗の考えを古いと断じる。政宗は激高(げきこう)し、兼続に切りかかるが、そこに政宗の妻・愛姫(杏)が現れ、政宗は刀をおさめる。 天正17年(1589年)6月、兼続は内乱の続く佐渡へ渡る。兼続の必死の説得に河原田城主・本間高統(春田純一)も折れ、佐渡は平定される。そのころ、お船が女の子を出産、兼続も書状で知らされる。喜ぶ兼続のもとに、伊達が会津の芦名家を滅ぼしたとの知らせが入る。兼続は急ぎ春日山に戻り、越後の守りを固める。 伊達への対策が一段落し兼続はようやく与板城を訪れる。娘と対面する兼続の目に涙が光る。 折から、北条が真田領に侵攻し、秀吉は三成(小栗旬)に北条攻めを下知(げち)する。
天正18年(1590年)、秀吉(笹野高史)は北条攻めに出陣、上杉も出兵する。景勝(北村一輝)は前田利家(宇津井健)、真田昌幸(岩松了)と連合を組み、北条の支城、上州・松井田城を包囲、持久戦の末、城主・大道寺政繁(ささきいさお)が降伏する。平伏(へいふく)する大道寺に、景勝と兼続(妻夫木聡)は酒を振る舞う。敵にも礼節を持って接する上杉の心に、利家は感服。 一方、秀吉は政宗(松田龍平)が参陣しないことにいら立っていた。秀吉は政宗を参陣させるよう家康(松方弘樹)に命じる。兼続も政宗へ参陣(さんじん)を促す書状を送るが、政宗は無視する。同じころ、家康からも書状が届くが、そこには参陣無用と書かれていた。 だが、家康の思わくを見抜いた政宗は参陣を決意。豊臣軍の軍議中に、突如政宗が姿を現す。しかし、遅参(ちさん)したため、伊達は会津領を没収され、政宗はそのまま帰されてしまう。帰国の途中、政宗は兼続を訪ねる。あくまで好戦的な政宗に、兼続は、戦の世は終わった、と説く。 景勝らは小田原の秀吉の本軍に合流。そして、森に隠して建設していた石垣山城が突如、北条軍の前に姿を現す。それぞれの思いで小田原城を見下ろす兼続・景勝・利家・家康・秀吉たち。驚がくする氏政(伊吹吾郎)は、敗戦を認め自害し、北条家は滅亡する。さらに家康も関東へ移封(いほう)。ここに秀吉は天下統一を果たす。 景勝と兼続は戦のない世が訪れたことを喜び、越後へと凱旋(がいせん)する。
上杉軍は越後へ凱旋(がいせん)した。兼続(妻夫木聡)は、これで平和が訪れると喜ぶ。 しかし、秀吉(笹野高史)は国主の妻を上洛させるよう命じていた。景勝(北村一輝)は菊姫(比嘉愛未)を説得するが、菊姫は拒否。お船(常盤貴子)は菊姫の気持ちを察し、自分が説得することを約束する。 年が明けると雪解けを待たず、景勝と兼続は再度上洛する。京では、秀吉がますます隆盛を誇る一方、千利休(神山繁)が反逆の罪に問われ屋敷に監禁されていた。利休邸の警護を命じられた景勝と兼続は利休を訪ねる。利休は茶の湯の心を守るため、運命を受け入れる覚悟でいた。その口惜しさを、お涼(木村佳乃)は兼続に吐露する。二日後、利休は切腹。納得できない兼続は三成(小栗旬)を訪ね問い詰める。太平の世のためにやむを得ないとする三成に、兼続は情を忘れれば人はついてこない、と反論する。 越後に戻った景勝と兼続は、仙桃院(高島礼子)も含めて利休のことを持ち出し、菊姫を説得するが菊姫は応じない。ついに景勝は主命(しゅめい)として上洛を命じる。驚がくの菊姫は自害を図るが、寸前でお船に止められる。菊姫のさびしい気持ちを感じたお船は、上洛の供をすることを決意。驚く兼続に、お船はこの上洛が子どもたちの幸せにつながる、と心中を語る。 天正19年(1591年)7月、菊姫とお船は京へと旅立った。
上洛した菊姫(比嘉愛未)とお船(常盤貴子)は、北政所(富司純子)や淀(深田恭子)、大名の奥方たちとの付き合いに追われていた。 そんな中、ヒメサユリの花見の席で、二人は淀からヒメサユリをたくさん集めるよう命じられる。その知らせを受けた兼続(妻夫木聡)は、ヒメサユリを集めて京へ送る。淀は送られてきたヒメサユリで部屋を飾り、大名の奥方たちは淀の趣向を褒めそやす。 秀吉(笹野高史)の嫡男・鶴松がわずか三歳で亡くなる。秀吉は家督(かとく)を甥(おい)の秀次に譲り、朝鮮出兵の準備にかかる。もはや世継ぎの母でなくなった淀を大名の奥方たちは気にかけなくなるが、菊姫は自分も子ができずに悩んでいる、と励ます。その心遣いに淀の心はいやされる。 文禄元年(1592年)3月、上杉軍は朝鮮出兵に備えるため、京へ入る。景勝(北村一輝)と菊姫、兼続とお船は久しぶりの夫婦の再会を喜ぶ。兼続は三成(小栗旬)に会い、朝鮮出兵をやめるよう秀吉に進言したいと頼むが、三成は拒む。一方、北政所は景勝と家康(松方弘樹)に、秀吉が朝鮮に渡らぬよう監視してほしいと頼む。上杉軍は肥前名護屋城で1年待機した後、出兵の命が下った。景勝と兼続は戦のむなしさを感じつつ、無事に戻ることを誓い、朝鮮へと渡って行くのだった。
朝鮮に渡った景勝(北村一輝)と兼続(妻夫木聡)は苦戦を強いられるが、ほどなく帰国の命が下る。秀吉(笹野高史)と淀(深田恭子)の間に男子・拾(ひろい)が生まれたのだ。謁見(えっけん)の席で、二人は秀吉の養子・秀俊(上地雄輔)と会う。 その数日後、景勝と兼続は毛利輝元(中尾彬)に招かれる。輝元は、秀吉が秀俊を毛利家へ養子に出そうとしていることを明かし、景勝に毛利家の代わりに秀俊を養子にしてほしいと頼む。困惑する兼続と景勝。お船(常盤貴子)はこの一件の打開策を北政所(富司純子)に願い出る。秀俊は、養子話を断ってほしいと景勝に懇願するが、景勝は己の運命を受け入れるよう諭す。 文禄3年(1594年)、秀俊は小早川隆景(横内正)のもとへ養子に出された。秀吉は、拾のために伏見城建設を命じる。その夏、兼続に嫡男が誕生する。 伏見城が完成し、諸大名が祝いに駆けつける。その席で家康(松方弘樹)や輝元に嫌みを言われた三成(小栗旬)を兼続は励ますのだった。越後に戻った兼続は領内の政治に専念する。 そんな中、子たちの教育係となったお涼(木村佳乃)と再会する。兼続はお涼にしばらく越後で暮らすことを勧める。そのころ、京では秀次(眞島秀和)が謀反の疑いをかけられていた。
文禄4年(1595年)、兼続(妻夫木聡)は上杉家の重大な仕事のすべてを取り仕切るようになっていた。景勝(北村一輝)は兼続を執政(しっせい)とし、上杉家のすべてを任せる。景勝の厚い信頼に兼続は感激する。 そのころ、秀次(眞島秀和)は秀吉(笹野高史)に謀反の疑いをかけられ、切腹を命じられる。兼続は秀吉の真意をただすため三成(小栗旬)のもとを訪れるが、三成は会うことを拒む。さらに、秀次と懇意にしていた政宗(松田龍平)も謀反の嫌疑をかけられるが、家康(松方弘樹)が北政所(富司純子)を通じて取りなし、事なきを得る。 京で秀次の一族が処刑される。その様子を見ていた兼続は初音(長澤まさみ)と再会。三成の真意がわからないとする兼続に、初音は三成も苦しんでいることをわかってほしい、と告げる。 秀吉は拾(伊藤悠翔)への忠誠を誓う起請文(きしょうもん)を諸大名に提出させる。秀吉が座を辞した後、家康は三成を激しく責めるが、景勝は主(あるじ)の責を家臣に負わすのは筋違い、と反論する。 三成の苦難を案じた兼続は、国政を合議制にすることを思いつく。三成とともに夜を徹して制度案をねり、利家(宇津井健)の助力のもと、秀吉を説得し了承を取り付ける。 諸大名による大老・奉行の署名が行われる。喜ぶ兼続と三成。三成は兼続の友情に感謝するのだった。
慶長2年(1597年)9月、兼続(妻夫木聡)は三成(小栗旬)に内密に呼ばれる。そこには秀吉(笹野高史)が病に伏していた。秀吉は上杉に会津へ国替えしてほしいと頼む。 日本の安泰を期すべき、という兼続の言葉に、景勝(北村一輝)は国替えを決断する。 兼続は越後へ戻り家臣に国替えを告げる。そして、国替えを拒み引きこもった泉沢(東幹久)を訪ね、さきざきを見据えた頼み事をする。一方、仙桃院(高島礼子)は、謙信(阿部寛)の遺がいとともに越後に残ることを決意。 お船(常盤貴子)が長男を連れて越後へ戻る。二度と越後へ帰れないかもしれないと覚悟したお船は、子どもたちに、越後の雪のあたたかさを覚えておくよう話す。 翌年、秀吉から正式に国替えの命が下る。米沢が上杉領になるため、伊達は陸奥へ移される。怒る政宗(松田龍平)を愛姫(杏)はなだめる。 兼続はお涼(木村佳乃)に会う。会津へ行かないとするお涼に、兼続は弱音を吐いてしまう。そんな兼続をお涼は慰める。 国替えを間近に控えた景勝と兼続は八海山に登る。越後の景色を前に、景勝は涙を流す。越後を去る日、景勝と兼続の胸に越後での懐かしい情景が去来(きょらい)するのだった。
慶長3年(1598年)3月、会津に入った景勝(北村一輝)と兼続(妻夫木聡)に、三成(小栗旬)から秀吉(笹野高史)が病との知らせが届き、兼続は上洛する。 そのころ、家康(松方弘樹)は北政所(富司純子)に接近、上杉や三成の悪評を吹き込むなど暗躍していた。 8月、秀吉は利家(宇津井健)に後事を託し、三成らにみとられ亡くなる。諸大名は伏見城に集結。その席で家康は三成を叱責(しっせき)、緊張が高まる。 大坂城へ移った淀(深田恭子)は諸大名に秀頼(小林海人)への忠誠を誓わせるが、家康はあいまいにし、逆に名指しはしないものの三成や上杉を批判。兼続は取り消しを求めるが、家康は応じない。 そんな折、兼続のもとに初音(長澤まさみ)が現れ、三成が家康を討とうとしていることを伝える。急ぎ三成のもとに駆け付けた兼続は、重臣・島左近(若林豪)の制止を振り切り、挑発は家康の罠(わな)であって怒りにかられてはならないと三成を説得し、思いとどまらせる。そして、家康の掟(おきて)破りを罰するために詰問使が送られるが、家康は詭弁(きべん)をろうしてかわしてしまう。 一方、家康のもとに政宗(松田龍平)の軍勢が到着する。この事態に兼続は収拾策を求めて利家のもとに出向く。そこへ家康が訪ねてきたことから、利家は一計を案じる。 翌年3月、利家が亡くなった。家康を抑える人間がいなくなり、兼続は不安を募らせる――。
慶長4年(1599年)、前田利家(宇津井健)が死んだ夜、福島正則(石原良純)ら7名の武将が三成(小栗旬)を討つべく挙兵。三成は家康(松方弘樹)のもとに逃げ込む。三成の身を案じた兼続(妻夫木聡)は淀(深田恭子)を頼る。その働きもあり、家康は三成を生かすことにするが、かわりに蟄居(ちっきょ)を命じた。 家康は伏見城に入城、秀頼の後見人として事実上の天下人となる。大老、奉行たちの会議の席で、毛利輝元(中尾彬)は勝手に政を進める家康を批判。しかし、家康はこれに応じず、逆に三成と兼続こそ、天下の政を私物化していると糾弾する。これを聞いた景勝(北村一輝)と兼続は猛反論、場に緊張が走るが、家康は突如相好を崩し、景勝に帰国を促す。これを家康の挑戦であると読んだ景勝は帰国を決断。 上杉が京から引き上げる中、兼続は一人、三成を訪ねる。三成は初音(長澤まさみ)や家臣・島左近(若林豪)とともに静かに暮らしていた。兼続の説得に、三成は家康に立ち向かい正義を示すことを決意。二人は夜を徹して対家康の作戦を練り、平和が訪れた後の夢を語り合う。お互いの熱き友情を感じた二人は、無事の再会を誓って別れる。 会津に戻り、国造りにいそしむ上杉に家康の脅威が迫っていた。
慶長5年(1600年)、会津に戻った兼続(妻夫木聡)は領内の整備を進めていた。そんな中、謙信公の23回忌法要が営まれる。参列した仙桃院(高島礼子)は、春日山城主の堀秀治(かなやす慶行)が上杉の謀反を疑っている、と告げる。 家康(松方弘樹)から書状が届く。そこには上杉に謀反の疑いがあるから上洛せよ、とあった。景勝(北村一輝)と兼続は、返書にて潔白を示し、家康の理不尽さをただすことにする。兼続は渾身(こんしん)の思いで書状をしたため、家康に送りつける。世に言う「直江状」である。 書状を読んだ家康は激しく怒り、諸将を集めて上杉討伐に向かう。一方、兼続は会津の南、白河の革籠原(かわごはら)に巨大な防塁を築く。敵軍をここに誘い込み一気に叩く作戦だ。兼続は上田衆に、この戦は義の国を築くための最後の試練、と告げる。 三成(小栗旬)は知略にたけた盟友・大谷吉継(津田寛治)にともに立つことを求める。そして、毛利輝元(中尾彬)を総大将として大坂城へ入り、秀頼(小林海人)を奉じ、家康討伐のため挙兵する。 知らせを受けた家康は、三成を討つため大坂へと引き返す。兼続は、家康を挟み撃ちにする絶好の機会と景勝に進言。しかし、景勝は敵を背後から討つのは義に背く、と応じない。
慶長5年(1600年)9月、家康(松方弘樹)は西へ進軍する。そのころ、信州・上田では、真田昌幸(若松了)・幸村(城田優)親子が家康の嫡男・秀忠(配役なし)の大軍の行く手を阻んでいた。 一方、兼続(妻夫木聡)は最上との戦の準備を整えていた。景勝(北村一輝)は自ら出陣しようとするが、兼続に殿は城に構えるべき、と諭される。 美濃・大垣城では三成(小栗旬)の呼びかけに応じた諸将が集結。総大将の毛利輝元(中尾彬)は淀(深田恭子)とともに大坂城に構えていた。家康率いる東軍は大坂を目指して進軍、三成率いる西軍はこれを阻止しようと陣を敷き、両軍は関ヶ原で向き合う形となる。奥羽では、上杉軍が最上方の長谷堂城を包囲していた。 9月15日、関ヶ原で両軍が激突、奥羽でも上杉が長谷堂城攻めを開始する。秀秋(上地雄輔)が動かないことを不審に思った三成は自ら秀秋の陣に出向き説得。だが、すでに秀秋は家康から寝返えるよう持ちかけられていた。態度を決めない秀秋の陣に、家康は鉄砲を撃ち込む。驚いた秀秋は西軍を攻め始める。 かくして、西軍は総崩れとなり、島左近(若林豪)が自ら犠牲となって三成を逃がす。三成は初音(長澤まさみ)とともに脱出――。 西軍敗退の知らせを受けた兼続は長谷堂城攻めから兵を引く。しんがりを務めて必死に応戦する兼続の脳裏に、三成の姿が浮かんでいた。
最上攻めから撤退した兼続(妻夫木聡)は会津へ戻る。一方、三成(小栗旬)は家康(松方弘樹)の陣でせん議を受ける。そこで三成は、強い者、勝つ者が常に正しいと限らぬ、と言い放つ。 兼続が竹松(加藤清史郎)ら子どもたちとお船からの手紙のことで話をしていると、初音(長澤まさみ)が訪ねてくる。そして、三成が京の六条河原で斬首されたことを知らされる。 そのころ、家康は戦後処理を進めていた。西軍の諸将に処分が下され、さらに豊臣家も減封(げんぽう)される。福島(石原良純)や秀秋(上地雄輔)らはこの処分に異を唱えるが、家康は意に介さない。 翌年、上杉に上洛の命が下る。家康を討たなかったことを悔やむ景勝(北村一輝)に、兼続は、天下に義を守ること、そのためにこそ生きられよ、と説く。兼続と実頼(小泉孝太郎)は名代として上洛。上洛した兼続のもとに福島が現れる。福島は三成と会って、三成が誰よりも豊臣家のことを考えていたことを知ったと告白する。悔やむ福島は秀秋にも会ってほしい、と兼続に伝える。 兼続は秀秋のもとを訪ねる。秀秋は三成から逃がすよう助けをこわれたことを明かした。その際、三成から、生きて我らの正義を後世に伝えよ、との兼続への言づけがあったことも伝える。三成の言葉をかみしめた兼続は、家康との対面に臨むのだった。
関ヶ原の戦いの後、西軍の諸将に処分が下される。 景勝(北村一輝)と兼続(妻夫木聡)も家康(松方弘樹)の命により上洛。兼続は本多正信(松山政路)のもとを訪れ、上杉存続をかけて直江家の家督を譲ると申し出る。嫡男・竹松(加藤清史郎)のことを思い反対するお船(常盤貴子)に、兼続は上杉を残すために、苦しみは自分が一身に引き受けなければならない、と苦しい胸の内を明かす。 景勝と兼続は家康に謁見(えっけん)。家康は謝罪を求めるが、兼続と景勝は義は我らにあり、と拒否する。一方、福島正則(石原良純)は小早川秀秋(上地雄輔)に上杉を助けるよう持ちかける。責任を感じている秀秋は、淀(深田恭子)に上杉を救って欲しいと申し出る。 結果、上杉は米沢30万石へ移封(いほう)となり、お家断絶は免れる。兼続は米沢への移住の準備のため、会津へ戻る。動揺する家臣たちに、兼続は殿を信じてついてくる者はすべて面倒をみる、と告げる。 出発の日、上杉を去る者は一人もいなかった。感極まる兼続は家臣6千とともに米沢へと向かう。
関ヶ原の戦いの後、上杉は会津百二十万石から米沢三十万石へと移され、兼続(妻夫木聡)は上杉の民とともに米沢へ入る。米沢城には謙信のなきがらが春日山から移されていた。家臣を勇気づけようとする景勝(北村一輝)の配慮である。謙信を前に家臣の士気も高まる。 米沢へ入った景勝は、家臣たちに上杉を離れずについてきてくれたことに礼を言い、頭を下げる。その姿に胸を打たれる兼続たち。 藩政を預かる兼続は苦しい財政に頭を痛め、解決策として松川に石堤(いしづつみ)を作ることを提案、さらに家臣から開墾に加わる者を募る。家臣が反発するなか、桜井(松尾諭)が開墾を引き受けると申し出る。 そんな折、兼続の娘・お松(逢沢りな)と本多正信(松山政路)の次男・政重(画面には登場せず)との婚儀が決まる。家督を継ぐと信じていた竹松(加藤清史郎)はショックを受ける。惣右衛門(高嶋政伸)は竹松に、5歳で親と別れた兼続の話を聞かせ、父の愛を疑ってはいけないと諭す。雨にあたって寝込んだ竹松を兼続は必死に看病する。その姿に父の愛を感じた竹松は、家督の件を納得する。 惣右衛門に感謝し、自分も父上のような父でありたいという兼続に対し、惣右衛門は兼続こそ誇りと打ち明ける。 数日後、惣右衛門の娘・お貞(てい・緑友利恵)の祝言が決まる。 後日、惣右衛門は静かに息を引き取った。
兼続(妻夫木聡)の息子・竹松(加藤清史郎)が病に倒れる。それを伝え聞いた菊姫(比嘉愛未)はお船(常盤貴子)に米沢へ帰るよう命じる。お船は菊姫の心遣いに感謝して、米沢へ急ぐ。 一方、家康(松方弘樹)は征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開く。景勝(北村一輝)と兼続は家康の求めに応じて謁見(えっけん)することを決める。反対する実頼(小泉孝太郎)に、兼続は今は生き残ることが上杉の義である、と諭す。 江戸に入った景勝のもとに、菊姫が病に倒れたとの知らせが入り、景勝は急きょ伏見へ向かう。菊姫は景勝に上杉家存続のために側室を持ってほしい、と告げる。 江戸では、兼続が家康に謁見。景勝がいないことを責める家康に、兼続は親子や夫婦がお互いを思いやる心なくして天下を治めることはできない、と返す。そこに突如、政宗(松田龍平)が現れる。 慶長9年(1604年)、景勝のもとに菊姫が亡くなったとの知らせが入る。景勝は悲しみをこらえて秀頼に謁見、年賀の挨拶をする。 米沢に戻った兼続に、お船は菊姫が書いた兼続あての手紙を見せる。そこには兼続に対する謝罪と感謝の言葉がつづられていた。菊姫の想いに、兼続とお船は悲しみにひたる。そして、竹松に命の尊さを説くのだった。
慶長9年(1604年)夏、景勝(北村一輝)の側室が男子出産後に亡くなり、お船(常盤貴子)が子を育てることになる。 兼続(妻夫木聡)の長女・お松(逢沢りな)と本多正信(松山政路)の次男・政重との婚礼の日が近づくが、京や大坂でその手はずを整えているはずの実頼(小泉孝太郎)からの連絡がとだえる。心配した兼続は泉沢(東幹久)を派遣。実頼は婚儀に反対していた。泉沢は実頼を説得して正信へあいさつに行くが、その席で実頼が婚儀を勝手に断ってしまう。 兼続は急きょ京へ行き、家康(松方弘樹)の家臣・榊原(川野太郎)に非礼をわびるが、難題を突きつけられてしまう。兼続は正信に謝罪し覚悟を述べる。兼続の言葉に感じ入った正信は婚儀を了承。 米沢に戻った兼続は、実頼を高野山追放に処する。いっそ死罪にしてほしいと懇願する実頼に、兼続は生きて罪を償えば希望も生まれる、と諭す。その高野山には幸村(城田優)も追放された身でいた。 秋、桜井(松尾諭)たちが開墾地で採れた野菜を持ってくる。豊かな実りに希望の光を感じる家臣たち。幸せな光景に幼い与七の姿を思い出した兼続は、一抹のさびしさを覚えるのだった。
本多政重(黄川田将也)が直江家に婿入りし、名を勝吉と改める。勝吉が心を開こうとしないことに悩むお松(逢沢りな)を、お船(常盤貴子)は時に任せればよい、と励ます。兼続(妻夫木聡)は勝吉に上杉の内情を包み隠さず明かし、家臣たちを驚かす。 一方、江戸では、家康(松方弘樹)が秀忠(中川晃教)に将軍職を譲り、豊臣家との決別を決定的なものとする。そんな折、米沢では、雨で猿尾堰(さるおぜき)が決壊。兼続は米沢生まれの政宗(松田龍平)に治水について相談することを思い立つ。兼続は勝吉を伴い政宗に面会。政宗は天下が動く、と兼続を挑発するが、兼続は今は民の暮らしこそ大事、と返す。政宗は治水に詳しい者を送ることを約束する。 その年の暮れ、米沢で病が流行。お梅が亡くなり、お松も勝吉と夫婦になれて幸せだった、と言い残し息をひきとる。跡継ぎは竹松に譲りたいと話す勝吉に、兼続は上杉の鉄砲づくりを見せる。驚く勝吉に、兼続はこれからもここで暮らすよう話す。 兼続のもとを政宗が訪れ、治水の助言を与える。政宗は、ここは一つの天下をなしている、と兼続の街づくりをほめる。感極まり涙を浮かべる兼続は自分の目指す道を見つけるのだった。
慶長10年(1605年)春、家康(松方弘樹)の嫡男・秀忠(中川晃教)が将軍職を継ぐ。諸大名が祝いに訪れ、上杉も参じるよう命が届く。 兼続(妻夫木聡)は、まず秀頼に謁見(えっけん)し、その後、景勝(北村一輝)とともに家康に謁見。家康は、先に秀頼に謁見したことを責めるが、兼続の機転でその場を切り抜ける。そして、兼続は政宗(松田龍平)の仲立ちで秀忠と会談。兼続は家康が焦っている、と指摘。秀忠は率直な意見を述べてくれたことに礼を言う。 諸大名が祝いに駆けつけるが、そこに豊臣の姿はなかった。心配した高台院(富司純子)は、このままでは豊臣家を滅ぼすことになりかねないと淀(深田恭子)に忠告する。 米沢に戻った兼続は、勝吉(黄川田将也)の再婚話を進める。兼続は竹松(加藤清史郎)を気遣うが、竹松は自分も“紅葉のような家臣”になると告げる。 そんな折、仙桃院(高島礼子)が倒れる。仙桃院は、謙信の遺言がうそだったことを告白。驚く景勝に仙桃院は「そなたは謙信公を超えている。そなたの義をつらぬけばよい」と告げ、息をひきとる。5年後、勝吉は徳川の命により、本家へ戻される。 一方、家康は、京・方広寺の鐘に「国家安康・君臣豊楽」とあることに目をつけ、秀頼が謀反を企んでいるとして、大坂城攻めを計画、上杉も出陣するよう命を下す。
景勝(北村一輝)と兼続(妻夫木聡)のもとへ政宗(松田龍平)が訪ねてくる。政宗は兼続に、大坂城攻め中止を家康(松方弘樹)にかん言してほしいという秀忠(中川晃教)の命を伝える。 兼続は駿府城へ赴く。豊臣を裏切るのか、とただす兼続に対して、家康は開き直る。秀頼(中村倫也)に嫁いだ娘・千姫(川島海荷)の身を秀忠が案じる中、家康は大坂城攻めの陣ぶれを出す。 一方、幸村(城田優)ら浪人諸将は大坂城に集結。慶長19年(1614年)11月、「大坂冬の陣」の火ぶたが切られる。大坂城を攻めあぐねた家康は外堀を埋めることを条件に和議を結ぶ。 兼続は幸村にひそかに呼び出され酒を酌み交わす。もはや豊臣に勝ち目はないとする幸村は、兼続にこれまでの礼を述べる。別れ際、兼続は幸村に千姫を助けてほしいと頼む。 その後、家康は城を明け渡すよう豊臣に要求するが、淀(深田恭子)はこれを拒否、「大坂夏の陣」となる。徳川の攻撃により、ついに大坂城は落城。千姫の命も絶たれたと思われたとき、兼続とともに千姫が現れる。淀や秀頼、幸村が助けたのだ。喜ぶ家康に千姫は、一生許さないと言い放つ。 兼続は亡くなった人々に対し、命と引き換えに世の安寧(あんねい)を残した、と感謝するのだった。
景勝(北村一輝)と兼続(妻夫木聡)は米沢へ戻る。米沢は兼続の改革が功を奏し、しだいに活気づいてきていた。竹松から名を改めた景明(太賀)ら若い家臣たちは藩の財を高めようと改革案を練るが、その場で景明が病に倒れる。兼続とお船(常盤貴子)の看病のかいなく、景明は息をひきとる。 翌年、年老いた家康(松方弘樹)は兼続と政宗(松田龍平)を呼び、秀忠(中川晃教)の指南役になってほしいと頼む。家康の子を思う心に感じいった兼続は、これを引き受ける。 一方、お船は自分も役目が欲しいと考え、景勝と兼続の許しを得て、玉丸(西山潤)の世話をするため江戸へ旅立つ。家康が息をひきとり、兼続は秀忠の指南役として江戸城に入る。兼続は徳川の若い家臣たちにせがまれ、戦国の英傑たちの話を聞かせる。 やがて、兼続は私財を投じ、米沢初の学問所となる「禅林文庫」を創設し、政から身をひく。そして、江戸へ向かった兼続はお船と再会し、二人で越後へ旅に出る。懐かしい景色に感慨無量となる二人は、ともに夫婦として幸せだったことを確かめ合う。 米沢へ戻った兼続を、景勝は峠の岩場へ連れて行く。春日山の岩屋に似たここに謙信公をまつるという。二人の胸に、これまでの日々が去来する。 元和5年(1619年)秋、紅葉の木を見ながら、お船に「紅葉になれたかの・・・」と、兼続は問いかけるのだった。