慶長5年(1600年)、会津に戻った兼続(妻夫木聡)は領内の整備を進めていた。そんな中、謙信公の23回忌法要が営まれる。参列した仙桃院(高島礼子)は、春日山城主の堀秀治(かなやす慶行)が上杉の謀反を疑っている、と告げる。 家康(松方弘樹)から書状が届く。そこには上杉に謀反の疑いがあるから上洛せよ、とあった。景勝(北村一輝)と兼続は、返書にて潔白を示し、家康の理不尽さをただすことにする。兼続は渾身(こんしん)の思いで書状をしたため、家康に送りつける。世に言う「直江状」である。 書状を読んだ家康は激しく怒り、諸将を集めて上杉討伐に向かう。一方、兼続は会津の南、白河の革籠原(かわごはら)に巨大な防塁を築く。敵軍をここに誘い込み一気に叩く作戦だ。兼続は上田衆に、この戦は義の国を築くための最後の試練、と告げる。 三成(小栗旬)は知略にたけた盟友・大谷吉継(津田寛治)にともに立つことを求める。そして、毛利輝元(中尾彬)を総大将として大坂城へ入り、秀頼(小林海人)を奉じ、家康討伐のため挙兵する。 知らせを受けた家康は、三成を討つため大坂へと引き返す。兼続は、家康を挟み撃ちにする絶好の機会と景勝に進言。しかし、景勝は敵を背後から討つのは義に背く、と応じない。