地球環境破壊、貧困問題、地球のあちこちで起こっている紛争。これらの問題の根本原因を探った上で、次の段階に進み「こういう地球社会を目指していく」と いうビジョンに取り組みます。まず理想のビジョンをしっかりと明確に持つこと。それにより実現への道が開かれていきます。学生たちの自由な発想とイメージ が、活発に対話を交わす中で具体化されていきます。
君たちは宇宙人。宇宙の王様から命令がきました。このままだったら地球は40年ももたない。地球に行って、みんなで力を合わせて、この地球を誰もがハッピーな世界に作り替えてこい。どんな地球に作り替えるか、タイムリミットは40年。この命題に、学生たちはチームで知恵を出し合い、理想の地球とは何かを熱く語ります。
宇宙の王様からの次の命令は、2050年、日本の首相にするから、仲間と内閣を作って日本を作り替えてくれというもの。思ったとおりの日本を創れるとしたら、それはどんな日本なのでしょうか。政治、経済、社会、教育、文化、食料、エネルギー、環境、家族関係。理想の日本とはどういう国なのか、あるべき日本の姿を学生たちは対話を通じて描き出していきます。
横浜市立大学の最終回。これまで発表してきた、地球のビジョン、日本のビジョンを実現させるために、どんな壁が立ちはだかり、どう突破すればいいのかを議論します。これまでそうした困難を突破し、理想の社会を実現した成功事例も合わせて考察していきます。最後に、自分個人としてできることは一体何か、何をやっていくことが、地球の様々な問題を解決して、より良い世界を作ることに貢献できるのかを考えていきます。
正義についての3つの考え方(1.功利主義・2.リバタリアニズム/リベラリズム・3.コミュニタリアニズム)を念頭に置きながら、武田泰淳の小説『ひかりごけ』に描かれた食人と殺人の事件を取り上げ、後半ではアメリカの原爆投下の論理の正当性を議論します。これらが許されるという功利主義的な立場に対し、様々な立場からの学生たちの反論が交わされます。
今回は、正義についての考え方の中からリバタリアニズムを中心的な検討課題とします。ホリエモンなどの事例にふれてから、自己所有・自己決定の考え方を、生死の問題を挙げて考察します。「なぜ殺人は不正義なのか」「人間に自殺する権利はあるのか」「安楽死・尊厳死は許されるのか」を議論していきます。
リバタリアニズムとロールズ的なリベラリズムとの論争を念頭に議論します。高校無償化など教育・福祉の問題から始まり、議論はイラク戦争時のNGOメンバー誘拐事件に対する『自己責任』問題へと展開します。続いて、世界の貧困問題について、ロールズの再分配肯定論を国際的に適用できるかどうか激しい議論が繰り広げられます。
コミュニタリアニズムを検討します。事例として、児童虐待の通報を取り上げながら、グリーンピースの鯨肉横領告発有罪問題、現在の日中間の緊迫と映像流出問題、ウィキリークスについて、法的権利と共通善の関係が熱く議論されます。
2人の企業のリーダーの対照的な行動を題材に組織のリーダーシップを議論します。1992年マイクロソフト社の“NT(ニュー・テクノロジー)”開発を成功に導いたのはカリスマ・プログラマー、デビット・カトラー氏。しかし、この成功の影には、莫大な成功報酬と引き換えに、家族や心身の健康を犠牲にした部下たちの“死の行進”がありました。 一方、後に世界規格となる家庭用ビデオレコーダーVHSの開発リーダー、日本ビクターの高野鎮雄氏。“仏の高野”と称された彼は、赤字続きのお荷物事業部ながら、270名の部下を誰一人リストラすることなく、チームを成功に導いていきました。 両者のリーダーシップの取り方を議論し、成果を上げるためのチーム・マネジメントの仕組みを分析します。
小田尚子(仮名)、38歳。一流大学を卒業後、外資系日本法人に総合職として入社。現在は管理職に就き、同期の中でも出世レースの先頭を走っています。離婚経験はあるものの、年収も非常に良く、傍から見れば順風満帆のキャリアに思われました。しかし、彼女自身は会社の組織が大きく変わったことを機に会社を辞めたいと考えるようになりました。自分が想定していたキャリアパスが突然崩れ、将来のステップアップのビジョンが揺らいだのです。転職か残留か。悩んだ挙句、彼女が出した結論は、「パン屋になりたい」でした。 彼女が会社を辞めたいと思う真の要因を探ることで、ビジネスにおけるキャリアと成長を考察します。
アメリカに本社を置く、コンピュータのソフトウェア会社の日本法人で実際に起こった出来事を題材に議論します。 社長はビジネスの拡大を模索、多角化戦略を立てようと考えます。そのために組織変革を行い、その責任者を社外からヘッドハンドしました。しかし変革は社内で受け入れられず、計画は頓挫しそうになります。この社長は会社のことを思い、実行したのに、どうして現場のスタッフがついてこないのか、このケースからトップリーダー主導の組織変革について考えていきます。
1995年3月20日に生じた地下鉄サリン事件では、被害者が助けを求めて聖路加国際病院に殺到しました。当初原因不明の中毒患者であふれた院内では、医師、看護師、事務スタッフらの的確な連携プレーが急速に形成されました。 原因がサリンと判明した後は、そのチームプレーがますます効果を発揮し、初日の患者総数640人の救急対応を可能にしました。非常時の緊急体制を組織するまでの工程をひも解き、現場でのチームプレーの精度が増していった状況を分析するとともに、ビジネス企業の組織に置き換え、検証していきます。
紛争地や災害被災地での緊急人道支援で急成長を遂げた日本発祥の国際NGOピースウィンズ・ジャパンを題材にします。「必要な人々に必要な支援を」をモットーに、他のNGOや政府や経済界と協力して国際人道支援システム「ジャパン・プラットフォーム」を設立したピースウィンズ。自然災害や紛争などで、人々の生命を緊急に守るための食糧・生活物資の配布や医療支援などの人道支援を行ってきました。9.11テロ後の混迷する世界の中で、イラクやアフガニスタンなど過酷な状況下で頑張るスタッフたち。しかし状況の打開が図れない中で、今後緊急人道支援を活動の中心に据えていくだけでいいのか、スタッフの間で議論が繰り広げられています。今後インフラ整備や教育など中期的な視野で復興の足がかりを作る長期の開発支援にも力を入れるべきではないのか。統括責任者の選択肢を議論していきます。
人権活動家、ジャーナリスト、野党政治家など「良心の囚人」釈放を目的に1961年にイギリスで生まれた人権NGOアムネスティ・インターナショナルを題材とします。ノーベル平和賞受賞をはじめ、その取り組みは世界的な評価を受けていましたが、2001年大きな転機を迎えていました。貧困問題への対応など新たな人権問題にも取り組まなければ、市民運動に必要な新世代の会員を惹き付けられません。迅速に活動する他の人権NGOも台頭してきています。新たに就任した初のアジア出身女性事務総長は、規約改正を受けて決断を迫られていました。アムネスティ・インターナショナルの将来のためにふさわしいブランド・イメージをどう構築していくのか。アムネスティ・インターナショナルの苦悩を題材に、競争激化時代のNGOのあり方を議論していきます。
チャイルド・スポンサーシップを通して途上国の貧困問題解決を目指し活動する国際NGOワールド・ビジョン・インターナショナルを題材にします。子どもだけの支援から教育、保健衛生、農業指導、水資源開発、収入向上、指導者育成など幅広い分野で長期的な支援を行う総合地域開発へと支援の幅を広げ、上下関係のない契約に基づいた「連邦モデル」と呼ばれる独自の組織構造を形成してきました。その中で提案されたHIV/エイズ対策プロジェクトには、アメリカの保守的支援層からもアフリカの現地スタッフからも異論が噴出。その上、子ども支援で巨額の寄付集めを実践してきたアメリカ事務所からはエイズ問題では寄付が集まらないと反対の声が上がります。分権化された連邦型組織構造ではドップダウンは通じません。この新しいプロジェクトへの組織内外からの反対や抵抗に対して、どのように説得し対処すべきかを議論していきます。
題材として、絶滅の危機にある野生生物の保護を目的に設立され、環境保全団体へと活動の規模と範囲を広げてきた国際環境NGO・WWFインターナショナルを取り上げます。自然環境の悪化を食い止め、人類と自然が調和して生きてゆく世界をつくるためには、企業を環境保全型に変えてゆくことが不可欠です。その資金源の一部として、この組織では、HSBC、キャノンなど大企業との連携を推進してきました。淡水プロジェクト、森再生プロジェクトなどで大きな成果を上げてきましたが、一方で、「環境NGOを企業に売り渡すのか」「企業に利用されるだけだ」という多数の声がサポーターや他のNGOから上がり始めています。企業との連携を推進すべきなのか。どのような業種の企業と、どこまで連携すべきなのか。世界でも豊かな資金を誇るNGOの最高執行責任者に突き付けられた難問を議論します。
第1回の討論では、「いま日本が、途上国の貧困層への支援に多額の支出をするのは、疑問だ。東日本大震災国内の被災者へ支援は緊急の課題であり、ワーキング・プアの状況も深刻である。 こうした国内の不利な人々をまず十分に支援すべきで、海の向こうの人々のことはその次だ」という意見に賛成か、反対か、そしてその理由は何かを問います。途上国では10億人以上の貧困層が生命の危険にさらされている一方、国内の被災者たちも支援を必要としています。なぜ先進国は途上国に援助しなければならないのか?国内支援を優先するとすれば、その根拠は何か?学生たちは討論を通じて探っていきます。
討論のテーマは、題して「魔法のスイッチ」。押すと、財政赤字・少子化・所得格差など日本のあらゆる問題が解決、今後30年間にわたって良いことだけが起こります。しかしその代わり、300年後日本列島全体に破滅的な大惨事が発生する・・・というスイッチです。あなたは押すか、押さないか。そしてその理由を問います。地球温暖化・原発事故など世代を越えた問題が起きている中、なぜ将来の世代に配慮しなければならないのか? 正義の問題としていかに正当化できるのか? 討論を通じて探っていきます。
東工大大学院、第3回は「自由」について考えます。個人の自由はどこまで許されるのか。今回、学生たちが討論するのは、「バスに4人の乗客がいました。1人目はCDプレイヤーで大音量の音楽をかけている。2人目は弁当箱を開けて生きた昆虫を食べている。3人目はナイフをもてあそんでいる。4人目は全裸である。あなたは、どこまでを“個人の自由”として認めますか」というもの。 市民生活で起こりうる、個人の自由と危害、道徳の衝突について議論を通して探っていきます。
現在日本でも大きな問題になっている「格差社会」。所得などの格差が広がり、懸念が高まっています。 普通、私たちは平等が保たれているのは良い社会だと考えがちですが、今回の講義ではあえて「平等は完全な理念なのか」と問いかけます。討論では、「所得など格差のある社会」、「所得などの格差の少ない社会」、「格差は無いが所得などの水準が一様に低い社会」という3つの社会の形を提示。学生たちは、どの社会が望ましいかを議論し、平等の意味について考えていきます。
いま被爆地ヒロシマで、人々は、原発事故による困難に直面しているフクシマのことをどう捉え、どんな思いを寄せているのか。講義は、福島第1原発事故についての緊迫した議論から始まります。そして、悲惨な戦争を体験し、被爆直後の広島の惨状を目撃した経験をもとに、独自の社会正義論を組み立てたアメリカの倫理学者ジョン・ロールズの歩みを振り返りながら、原爆投下はなぜ正義に反するのかを受講生とともに議論。ヒロシマから 再び「核」の被害に見舞われたこの国に向けて、3・11後の「核」と「正義」を問い直します。
被爆地ヒロシマだからこそ、今届けられる言葉があるのではないか。原爆詩人栗原貞子とシベリア抑留の詩人石原吉郎、二人のやり取りを手がかりに、これまで「一瞬のうちに命を奪われた多くの被爆者」と一括されてきた被爆者一人ひとりの、暮らしと思いに立ち返って被爆の記憶を解きほぐし、手入れすることにより当事者以外の人々も共有しうる道筋を議論します。 また東日本大震災に立ち向かう日本の人々への、ハーバード大学マイケル・サンデル教授のメッセージを紹介、原爆の体験を持つヒロシマから、いま原発事故に直面するフクシマへ届けられるものとは何か。3・11後の「核」と「正義」を受講生と共に問い直します。
今も解決の糸口を見つけられないでいる沖縄米軍基地問題。そもそも、なぜ沖縄に米軍基地が存在しているのか。 講義では、日米安保の歴史的背景から解説。日本が抱える矛盾点、問題点を分析します。そして「米軍基地は日本およびアジアの安全にとって必要か?必要でないか?その理由は?」「沖縄県以外でもっと基地を受け入れるべきか?現状維持すべきか?」等について討論。基地問題と日本の防衛、今後の日米関係を考えていきます。
第2回は隣国、中国・韓国との関係について考えます。日本企業の中国進出、韓流ブームなど、ビジネス・文化の面でますます交流を深めつつある一方、尖閣諸島や竹島などの領土問題、歴史認識をめぐる論争など、日中・日韓の間には様々な問題が横たわっています。 講義ではそれぞ国との歴史を紐解き、続いて「今後の日中・日韓関係」について討論します。日本は、中国・韓国とどのようにつきあっていくべきなのか? 問題解決の糸口は? 韓国人留学生も参加して、議論が白熱します。
テーマは日本の新たな“開国”。 一つ目の議論は農産物を中心としたモノやサービスの自由化。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)など、各国から日本へ市場開放を求める声が高まっています。一方で農業など国内の産業をどう守っていくのか課題が残されています。日本は今後、市場開放を進めていくべきか?考えます。 二つめの議論はヒトの“開国”。外国人労働者や移民など海外の人材をより多く受け入れるべきなのか? そうした政策は日本の人口減少・高齢化問題の解決につながるのか? 討論を通じて多くの課題があぶり出されます。
第4回は国際協力について考えます。日本はこれまでODA(政府開発援助)を通じて途上国に対して資金や技術の援助を行ってきました。 今後、こうした経済協力をより積極的に進めていくべきなのか?それとも現在程度が良いのか?また、国連PKOなど自衛隊の国際協力活動はどう考えるべきか? 東日本大震災で多くの国から支援を受けた日本は、国際社会の中でどのような役割を担っていくべきか?改めて問い直します。
日本語特有の表現を例に挙げ、高度文脈依存の言語の背景にある日本人の自己構造を探ります。また、他の言語にはない複数の一人称の使い分け(相手に応じて「オレ」「ボク」「ワタクシ」「オトウサン」「センセイ」など)は何故なのか、また、「場の空気、場違い」など日本人が大切にする「場」とは何なのかなど、意識せずにいた特異な点を明らかにしていきます。
大学で何か研究・発表する“チーム”を組む時、あるいは会社で業務を遂行する時、その組織に「帰属」するのか「参加」するのか。求められるのは「役割」なのか、「機能」なのか。 その相違点を明らかにしながら、マニュアルやジョブ・デスクリプション(職務記述書)に書かれたことだけをするのが当然の欧米と、気配りと運用的解釈が必要な日本の、思考メカニズムや組織との関わりの違いを探ります。
原発事故を受けての経産省幹部の新聞発言を例に挙げ、「安心」と「安全」の意味を明らかにした上で、その根幹にある「リスクをとる」ことへの意識の違いを考えます。さらに、アングロサクソン社会で重用視される社会価値規範と、それを支える行動規範はどういうものなのか、日本とどう違うのかを探ります。
日本では、なぜリーダー不在でもどうにかなるのか。「日本人はリーダーに不向き」とよく言われますが、そもそも「リーダーシップ」は日本と欧米で同じなのか? 東日本大震災と福島原発事故という天災と人災を被った日本社会を、組織行動的に見て感じたことを学生たちに問いながら、典型的な日本型組織に求められるスキルとは何か、その強みと弱さは何なのかを考えます。
中等教育に見られる「正解の必ずある科学」というイメージは、社会の中で利用されている科学や技術の場合には必ずしも成り立ちません。それをまず理解することから始め、イギリスのBSE事件の事例をもとに、科学技術が不確実性を伴った見解しか出せない場面で、専門家をいかに集め、どのように社会的な意思決定をしていくべきかを議論します。
『3月11日以前に立ち返った時、原子力発電所のリスク(地震、津波)はどこまで想定すべきだったのだろうか』。大震災および福島第一原発事故について第2回の講義で提示されたこの“問い”をもとに、「科学技術の不確実性」、「想定外」、「リスク」などをキーワードとした討議を行います。学生たちは3つのグループに分かれて議論。各グループの結果発表を聴く教授や学生たちから鋭い質問が投げかけられ、さらに議論は深まっていきます。そして、福島第一原発事故のリスクの要素を分析し、リスクマネジメントにどう繋げていくのかを探ります。
いま毎日のように使われる「国民的討議が求められている」という言葉。しかし、その「国民的討議」とは具体的にはどのようなものなのか? 国民・住民の意見はどうすれば反映させられるのか? アンケート調査・パブリックコメント・討論番組・国民投票・市民参加型の議論・国会議員の議論・臨調……。 現代社会の中で大きな役割を果たしている科学技術について、われわれはどのように関与していくべきか。大震災・原発事故を念頭に討議し、社会的意思決定の在り方を探ります。