1868(慶応4)年8月、砲撃をあびる会津・鶴ヶ城内で、スペンサー銃を構え戦う若き女性銃士がいた。山本八重(綾瀬はるか)、後の新島八重である。 戦からさかのぼること17年前。5歳の八重(鈴木梨央)は男勝りで負けん気が強く、父・権八(松重豊)や母・佐久(風吹ジュン)も手をやいていた。そんな八重が慕ってやまないのが、兄・覚馬(西島秀俊)だった。銃で華麗に的を撃ち抜く兄の姿を見た八重は、砲術に夢中になっていく。 その年の秋、会津藩士が最も張り切る軍事操練「追鳥狩(おいとりがり)」の真骨頂である模擬戦の最中に事件が起こる。「一番鳥」の本命と目される番頭(ばんがしら)・西郷頼母(西田敏行)が一羽の鳥に狙いを定め竹鞭を振り上げたとき、八重が邪魔をしてしまったのだ。そこへ藩主・松平容保(綾野剛)が現れ、八重を救う。この出会いが、八重のその後の人生を変えていくことになる。
桜の木の上で砲術本を無心に読む八重(綾瀬はるか)は、毛虫に驚いた拍子に本を落としてしまう。そこへ若き武士が通りがかり、その本を拾い上げる。それは江戸から覚馬(西島秀俊)を援助しようとやってきた尚之助(長谷川博己)だった。よき協力者を得て蘭学所の整備を急ぐ覚馬だったが、藩の守旧派の反感を買い禁足を命じられてしまう。 兄を心配した八重は、尚之助に習ってつくった弾丸を覚馬のもとへ持っていき、砲術の指南をせがむ。そんなひたむきな妹の姿を見て、覚馬の脳裏に象山(奥田瑛二)が蟄居先からよこした手紙の一節がよみがえる。「何かを始めれば必ず邪魔する者が現れる。蹴散らして前へ進むのだ」。覚馬は、八重と尚之助と共に、新式銃の設計に乗り出すのだった。
薙刀の稽古にいそしむ八重(綾瀬はるか)と幼なじみの時尾(貫地谷しほり)。そこで、2人は二葉(市川実日子)から弟の大蔵(玉山鉄二)の祝言が決まったことを知らされる。時尾は動揺してしまい、稽古中に足を痛めてしまう。時尾はひそかに大蔵に思いを寄せていたのだった。その後、大蔵は八重に別れを告げ、都へ旅立っていった。 一方、京では倒幕を目指す攘夷派の不逞浪士を取り締まるため、剣が立つと評判の壬生(みぶ)浪士組を会津藩のお預かりとした。こうした動きに危機感を持った長州派の公家たちは、容保(綾野剛)たちを都から追い出すため孝明天皇(市川染五郎)の名をかたって偽の勅書を容保へ送る。しかし、その策謀を知った容保は、守護職への責任感をさらに強めていく。そんな容保に頼母(西田敏行)は「これ以上強硬策を採るべきではない」と懇願するが、容保はそれを拒否。頼母に蟄居を命じる。
京都で警備に当たる秋月(北村有起哉)と覚馬(西島秀俊)のもとへ薩摩から密使が送られ、倒幕をたくらむ長州を都から排除する企てに協力するよう求められる。その話を聞いた容保(綾野剛)は、長州の暴挙を見過ごすわけにはいないと兵を挙げる。孝明天皇(市川染五郎)もこの動きに応じ容保へ勅書を送り、1863(文久3)年、八月十八日の政変が起こる。 そのころ、会津では照姫(稲森いずみ)の右筆選びが行われていた。薙刀の師である黒河内(六平直政)も八重(綾瀬はるか)を推薦し、八重の名が最有力候補として挙げられるが、選ばれたのは八重の幼なじみの時尾(貫地谷しほり)だった。落ち込む八重だったが、尚之助(長谷川博己)に励まされ次第に元気を取り戻していく。
親友の時尾(貫地谷しほり)が照姫(稲森いずみ)の右筆として城に上がることになり、八重(綾瀬はるか)は時尾としばらく会えなくなることを寂しく思っていた。その後、残された八重には縁談が持ち込まれる。しかし、八重は尚之助(長谷川博己)と共に新式洋銃の開発に明け暮れていた。 そのころ都では、池田屋に集まる長州藩の尊王攘夷派の志士たちを、新選組が襲撃するという事件が勃発。会津にいる頼母(西田敏行)は、会津を守るためには兵力を増すしかないと考え、官兵衛(中村獅童)に京に行くよう命じる。しかし、事態は頼母らの予想を上回る早さで展開していき、ついに長州が動き出す。報復に乗り出した長州に萎縮した慶喜(小泉孝太郎)は、容保(綾野剛)にその責任を負わせようとする。
会津では、八重(綾瀬はるか)の弟・三郎(工藤阿須加)が、突然、都へ派遣される部隊へ志願して権八(松重豊)から激怒される。三郎は、隊士になって早く一人前の藩士として認めてもらいたいと思っていたのだ。三郎の思いを知った八重は、自分のまねばかりしていた弟の成長をうれしく思うのだった。 そのころ、容保(綾野剛)らは長州軍の脅威にさらされていた。都では佐久間象山(奥田瑛二)が尊皇攘夷派の不逞浪士に暗殺され、覚馬(西島秀俊)は悲嘆する。そして、偵察により長州が容保の首をねらっていることを知った覚馬は、さらに怒りを募らせていく。 1864(元治元)年7月、ついに孝明天皇(市川染五郎)より長州討伐の勅が下る。
1864(元治元)年7月、長州が洛中へ向けて兵を進め、禁門の変(蛤御門の戦い)の火ぶたが切られる。蛤御門では、御所に向け銃を放つ長州に対し、覚馬(西島秀俊)ら鉄砲隊が応戦する。 長州の勢いに押され、慶喜(小泉孝太郎)や容保(綾野剛)が率いる幕府軍は劣勢を強いられるが、そこへ西郷吉之助(吉川晃司)が率いる薩摩藩の鉄砲隊が現れる。薩摩の助けもあり、勝利を収めた会津藩。しかし、覚馬は爆裂により眼部に深手を負い、焼け野原と化した都の惨状に心を痛める。 一方、会津では八重(綾瀬はるか)が、開戦直前に覚馬から手紙で勧められた尚之助(長谷川博己)との縁談に心を悩ませていた。八重はずっと兄のように慕ってきた尚之助と夫婦になることに戸惑いを隠せずにいたのだった。
会津へ帰国した秋月(北村有起哉)は、八重(綾瀬はるか)と尚之助(長谷川博己)に覚馬(西島秀俊)からの伝言を語る。それは、以前提案した八重と尚之助の縁談を取り消し、尚之助に他藩への移籍を促すものだった。八重は激しく動揺し、針の稽古もままならない。一方の尚之助は、八重に求婚するために、新しい銃を完成させようとしていた。数日後、銃を完成させた尚之助は八重に結婚を申し込む。そして、2人はついに夫婦となった。 都では、西郷吉之助(吉川晃司)の翻意により、長州攻めが中止となった。容保(綾野剛)ら会津藩士は一戦も交えることなく兵を解くことになり、出鼻をくじかれる。これにより会津藩は、孤立への道をたどり始めていくのだった。
秋月(北村有起哉)に連れられて白無垢に身を包んだ八重(綾瀬はるか)が、尚之助(長谷川博己)の待つ山本家の門をくぐった。八重の見違えるような美しさに目を奪われる尚之助。その後、婚礼の祝宴では酒に弱い尚之助が酔いつぶれ、八重が担いで2人の新居に運び込む。部屋には、京から覚馬(西島秀俊)が送った紅が届いていた。目を覚ました尚之助は自ら指に紅を取り、そっと八重の唇に置くのだった。夫婦になっても2人の関係は変わることなく、八重は尚之助と共に新式銃の開発にいそしむ。 そのころ京では、覚馬が目の異変に気づき、広沢(岡田義徳)と共に医者を訪ねていた。そこで失明率の高い“白そこひ”と診断され、覚馬はがく然とする。 そして、幕府が第二次長州征伐へ動き出そうとしているその裏で、西郷吉之助(吉川晃司)ら薩摩は、岩倉具視(小堺一機)と共に新しい動きを見せ始めていた。
会津の大火のさなか、行方不明になっていたみね(豊嶋花)を三郎(工藤阿須加)が見つけ出した。そして、みねを捜しに火元近くをさまよっていたうら(長谷川京子)を、尚之助(長谷川博己)が救い出す。みねの無事を確認し、涙するうらの姿を見た八重(綾瀬はるか)は、うらがどうしてみねを厳しく叱るようになったのか本当の理由を知る。それは、覚馬(西島秀俊)にもしものことがあったときに、みねが山本家を継げる人物になるよう育て上げるためだったのだ。 そのころ都では、慶喜(小泉孝太郎)が将軍職を継ぐことが決まり、4年に及ぶ容保(綾野剛)の京都守護職が解かれようとしていた。ようやく願いがかない安堵(あんど)する容保。ところが、その直後に孝明天皇(市川染五郎)が崩御したという知らせが届き、会津への帰国の期待は打ち砕かれた。
孝明天皇(市川染五郎)の突然の崩御により、会津への帰国の機会を失った容保(綾野剛)ら会津藩士たち。そのころ、覚馬(西島秀俊)は長崎でオランダ人医師による眼の診察を受けていた。そこでの結果も良いものではなく、近く失明することを医師から告げられる。ぼう然とする覚馬だったが、孝明天皇崩御の知らせを受け、急ぎ新式洋銃の買い付けに奔走する。しかし、新参の会津を相手にしない外国商人が多く、交渉はなかなか思うようにはいかなかった。そんななか、レーマン(エリック・ボシック)というドイツ人武器商だけが覚馬の情熱に打たれ、新式銃の大量買い付けに応じた。そして、覚馬はレーマンから絆の証として一丁の騎兵銃を贈呈される。覚馬はスペンサー銃と呼ばれるその最新鋭の銃を、会津で帰りを待つ八重(綾瀬はるか)のもとへ送る。 そのころ会津では、八重の弟・三郎(工藤阿須加)の江戸修行が決まる。三郎は、八重が南天の刺しゅうを施した新しい着物をまとい、笑顔で旅立っていくのだった。
会津の防衛に不安を抱いた尚之助(長谷川博己)は、八重(綾瀬はるか)を連れて周縁の地域の見聞に回る。二本松に立ち寄った2人は、そこで熱心に砲術教練に励む少年隊士たちに出会う。二本松藩では変事に備え、藩士は皆、鉄砲を学ぶようにとの通達が出されていたのだ。 会津に戻ると、尚之助の仕官が許され、八重も権八(松重豊)や佐久(風吹ジュン)と喜び合う。尚之助は早速、周縁地域の見聞録や軍備増強策を提出するが、守護職就任以来かさみ続ける出費により、もはや藩には尚之助の献策を実現させる余力はなかった。 そのころ、京の岩倉村では薩摩の大久保(徳重聡)と岩倉(小堺一機)が、密かに徳川の世を覆す企てを進めていた。一方、慶喜(小泉孝太郎)は大政を奉還することで討幕派の攻撃をかわし、徳川家の生き残りを図ろうとしていた。
1867(慶応3)年、慶喜(小泉孝太郎)は徳川家の存亡を賭け、大政奉還を決意する。その知らせは会津の八重(綾瀬はるか)たちにも伝わり、尚之助(長谷川博己)は藩から軍備増強策を実現するよう指示される。八重たちは、都にいる会津藩の動向がわからず、不安を募らせていく。 都では、息を吹き返した討幕派諸藩や浪士たちが、会津藩や新選組に嫌がらせを繰り返していた。覚馬(西島秀俊)にも討幕派の浪士が襲いかかり、視力を失いかけている覚馬は斬殺されそうになる。しかし、その危機を小田時栄(谷村美月)が救う。時栄は、大垣屋(松方弘樹)が覚馬の目を心配してつけた下女だったのだ。 その後、岩倉(小堺一機)らによって王政復古が宣言され、幕府は廃絶。慶喜は容保(綾野剛)を連れ、大坂へ下ろうとする。
都では王政復古が宣言され、逃げるように大坂へ下ろうとする慶喜(小泉孝太郎)を林権助(風間杜夫)や佐川官兵衛(中村獅童)らが必死に引きとどめるが、神保修理(斎藤工)にいさめられやむなく従うことになる。出兵するも慶喜討伐の口実を失った薩摩と長州は、西郷吉之助(吉川晃司)の発案により、江戸で争乱を起こす。そして1868(慶応4)年1月、ついに「鳥羽・伏見の戦い」が始まる。 一方、覚馬(西島秀俊)は容保(綾野剛)に停戦を願い出るべく動き出すが、薩摩兵に捕らえられてしまう。 そのころ、慶喜や容保らの都落ちを知った八重(綾瀬はるか)は、藩の女性たちと共に戦勝祈願の幟旗(のぼりばた)を縫い、スペンサー銃の練習に明け暮れていた。
八重(綾瀬はるか)のもとに、弟・三郎(工藤阿須加) と兄・覚馬(西島秀俊)が落命したとの知らせが届く。しかし、三郎は遺髪や形見の衣服があるのに覚馬の遺品がないことを不思議に思った八重は、「あんつぁまは死んでいない」と言い張る。 その後は気丈にふるまっていた八重だったが、鉄砲を習う少年に三郎の姿を重ね、こらえていた悲しみがあふれ出す。尚之助(長谷川博己)は、泣き崩れる八重を温かく見守る。 そのころ覚馬は、薩摩藩士に捕らえられ獄中にいた。視力を失いながらも、何度も会津救済を願い出る覚馬。しかし、すでに西郷(吉川晃司)ら東征軍は江戸へと兵を進めていた。江戸城総攻撃は勝海舟(生瀬勝久)と西郷の会談により中止されたが、そのことで攻撃の矛先が会津に向かうこととなる。
八重(綾瀬はるか)がかつて尚之助(長谷川博己)と共に訪ねた二本松領内が、新政府軍によって侵攻された。八重と交流を持った二本松少年隊士も出陣したが、多くの少年兵が新政府軍の激しい銃撃にさらされ、敗走する。深手を負った少年兵たちは八重が救護にあたる会津の日新館へと運ばれるが、懸命の手当てもむなしく息を引き取っていく。八重はやり切れない思いでいっぱいになるのだった。 その後も会津は苦戦を強いられていた。白河口の総督として尽力していた頼母(西田敏行)は、容保(綾野剛)に再び恭順を主張するが受け入れられず、白河口総督の任を解かれる。 会津城下に戦火が迫るなか、京都では覚馬(西島秀俊)が新国家への意見書を書きあげていた。
1868(慶応4)年8月、二本松を陥落させた新政府軍はついに会津領内へと陣を進めてきた。竹子(黒木メイサ)は戦に備え、女性たちによる薙刀隊を編成する。城下には触れが回り、権八(松重豊)と尚之助(長谷川博己)も登城することに。八重(綾瀬はるか)は、自分も一緒に出陣したいと懇願するが、権八に一蹴される。 戦況はますます悪化し、会津藩士らは続々と出陣していく。ついに予備の部隊である白虎隊にも出陣命令が下り、八重は砲術を指南した隊士たちに最後の助言をして送り出す。そして、登城の触れはとうとう八重たちにも回ってくる。佐久(風吹ジュン)やうら(長谷川京子)も城に入る支度をするなか、弟・三郎(工藤阿須加)の形見の衣服をまとい、男装をする八重。その手には、覚馬(西島秀俊)から贈られたスペンサー銃が握りしめられていた。
八重(綾瀬はるか)は、半鐘が鳴り響く城下を佐久(風吹ジュン)らと共にひた走り、鶴ヶ城に入城する。城の守りが手薄であることを知った八重は、少年兵や老兵たちを束ねて銃撃戦の指揮を執った。 一方、出発が遅れたユキ(剛力彩芽)たちは閉門に間に合わず、敵弾飛び交う城下を逃げ惑っていた。そして、頼母(西田敏行)の登城のあと自邸に残った妻・千恵(宮崎美子)たちは自刃の道を選び、壮絶な最期を迎える。田中土佐(佐藤B作)と神保内蔵助(津嘉山正種)も、郭門を破られた責任をとり自刃。白虎隊の少年たちも飯盛山でその命を絶った。 新政府軍の大山(反町隆史)らは、鶴ヶ城へ向けて一気に兵を進めるが、城内からの精度の高い射撃に進軍を阻まれる。その夜、八重は夜襲に備えて髪を切り、城を守るため戦い抜く決意をする。
鶴ヶ城内にこもっている八重(綾瀬はるか)たちのもとへ、日新館が焼失し、重傷者たちが自害したという知らせが届く。怒りを抑えきれない八重は、城外で敵を討つために男たちにまざり夜襲に出る。 一方、最新の兵器を携えた新政府軍が続々と会津に集結。彼らを食い止めるため、中野竹子(黒木メイサ)は、母・こう(中村久美)や妹・優子(竹富聖花)らと共に、女性だけの婦女子隊を結成。薙刀を武器に戦いを挑むが、奮戦むなしく敵の銃弾で命を落としてしまう。仲間が次々と戦死していくなか、八重の耳に懐かしい彼岸獅子の音色が聞こえてくる。それは敵の目を欺くため彼岸獅子を先頭にたてた、山川大蔵(玉山鉄二)隊だった。鮮やかに敵中を突破した大蔵の入城は、苛酷な戦に耐える人々の心に希望の灯をともす。
ついに鶴ヶ城に程近い小田山から砲撃が届き始める。竹子(黒木メイサ)の死を悲しむ間もなく、八重(綾瀬はるか)は尚之助(長谷川博己)と共に四斤山砲を操って反撃を試みる。その砲弾は見事敵陣に命中。しかし、敵からの砲撃は激しさを増すばかりだった。 砲撃の音が響くなか、八重は身を守るための術として、濡れた着物を砲弾に被せて爆発を未然に防ぐ荒技を見せる。その様子をかいま見た容保(綾野剛)は八重を陣所に呼び出し、砲弾の構造を説明させる。 会津軍はその後も命懸けの猛攻を仕掛けるが、惨敗。食糧も底をつき、苦しい籠城の日々が続いていた。そんななか、大蔵(玉山鉄二)の妻・登勢(白羽ゆり)が、八重の教えた荒技で火消を試みて被弾してしまう。
籠城からひと月近くが過ぎた9月15日。八重(綾瀬はるか)の心配を受けながら、権八(松重豊)は補給路を奪還するために出陣する。新政府軍は鶴ヶ城に一日に二千発を超える砲弾を撃ち込み、天守閣は無残な姿になりつつあった。 それでも最後まで会津の意地を貫こうと戦う家臣たちの姿を見た容保(綾野剛)は、ついに降伏を決意。使者として秋月(北村有起哉)を向かわせるが、降伏の嘆願が板垣(加藤雅也)ら新政府軍に受け入れられる前に、権八が敵弾によって倒れてしまう。 その後、城内の藩士たちに降伏の内容が伝えられ、白旗が掲げられた。1868(明治元)年9月23日、容保はついに鶴ヶ城を開城。やり切れない思いを抱えたまま、八重は城を後にする。
会津戦争から半年が過ぎ、八重(綾瀬はるか)たちは米沢藩の知人宅に身を寄せながら、食いぶちを稼ぐため反物の行商をしていた。捕らえられた尚之助(長谷川博己)からの便りはなく、八重は不安を募らせる。 その後、会津藩は家老・萱野権兵衛(柳沢慎吾)の斬首という犠牲によってお家断絶を免れ、斗南へ移されることが決まった。そして、筆頭の大参事となった大蔵(玉山鉄二)は、いつの日か会津の土地を取り返すため思いを募らせる。 一方、箱館の五稜郭で戦いを続けていた旧幕府軍は、萱野の処刑が執行されたのと同じ日に降伏。「鳥羽・伏見の戦い」から始まった戊辰戦争がついに終結した。 1870(明治3)年3月、会津藩士たちは次々と新天地を目指し北へ進んでいく。そして、八重たちもまた会津に戻れることを信じて米沢で生きていく決意をする。
米沢の八重(綾瀬はるか)のもとに、尚之助(長谷川博己)から離縁状が届く。気丈に振る舞いながらも悲しみを抑えきれない八重。尚之助は斗南藩のために行った米取り引きで詐欺に遭い、取り引き先から訴えられ勾留されていたのだ。しかし、八重への手紙にそのことは書かれていなかった。 そんななか、八重たちのもとに兄・覚馬(西島秀俊)の使いが訪ねてくる。覚馬は京都で生きていて、皆を都に迎えようとしていた。その知らせに安堵(あんど)する佐久(風吹ジュン)とうら(長谷川京子)。しかし、覚馬に内縁の妻と娘がいるということが判明し、八重とうらは動揺する。そして、うらはみね(池田沙弥花)を八重たちに託し、自分はとどまる決意をする。 1871(明治4)年の秋、うらと別れた八重と佐久、みねの3人は京都へ到着。そこでようやく八重たちは覚馬と再会を果たす。覚馬が会津を旅立って9年ぶりのことだった。
1875(明治8)年、アメリカ留学から新島襄(オダギリジョー)が帰国。覚馬(西島秀俊)や槇村正直(髙嶋政宏)の援助を受け、京都に英学校をつくるため動き出す。 そのころ八重(綾瀬はるか)は、覚馬に促されて耶蘇教(キリスト教)の勉強を始めていた。宣教師の家を訪れていた八重は、偶然襄と出会う。八重が「女紅場」で働いていることを知った襄は、見学がしたいと願い出る。いきなり押しかけてきた襄に、戸惑う八重。 一方、会津戦争後にアメリカへ留学をしていた山川健次郎(勝地涼)は、5年間の留学を経て、日本に帰ってきていた。兄・浩(玉山鉄二)や佐川官兵衛(中村獅童)らも健次郎との再会を喜ぶ。 ある日、八重が井戸の上で裁縫をしていると、襄がその横を通りかかる。八重の行動に驚きながらも、幾度か言葉を交わしていくうちに、日本人離れした彼女の独創性に心奪われていく。そして、自分の思いを抑えられなくなった襄は、八重にプロポーズする。
襄(オダギリジョー)の求婚を受け入れた八重(綾瀬はるか)。しかし槇村(髙嶋政宏)は、キリスト教徒である襄と婚約した八重を女紅場から解雇しようとする。キリスト教に入信しないことが雇用継続の条件と迫る槇村に、八重は夫の考えを認めて支えていくことを宣言。そして、教え子たちに後ろ髪を引かれながらも女紅場を後にする。 一方、中央政界から離れた西郷(吉川晃司)は、薩摩に戻る。彼が地元で開いた学校には、職を失ったことで日本のありように不満を持つ士族たちが集うようになる。 1875(明治8)年11月、ついに襄の同志社英学校が開校。その翌年1月、デイヴィス邸で洗礼を受け結婚式を挙げた八重と襄は、新しい生活を始める。
結婚した八重(綾瀬はるか)と襄(オダギリジョー)は、新居ができるまで山本家で暮らすことに。襄は早速、八重との寝室にベッドを取り寄せる。生まれて初めて見るベッドをいぶかしむ八重だったが、襄に勧められるがまま横たわる。翌朝、熟睡から目覚めた八重は寝心地の良さに感動。ベッドについて「良いものは良い」と納得する。 そんななか、同志社英学校に熊本で激しい迫害にあっていたキリスト教信者が転校してくる。彼らは襄や八重に心を閉ざし、校内では問題行動を繰り返す。八重は、苦悩して心が折れそうな襄に、彼らの良い面だけを見るよう諭す。そして襄は、涙ながらに自分の思いを生徒たちに伝える。その姿に、今まで反発していた生徒たちも次第に心を動かされていく。
1877(明治10)年2月、八重(綾瀬はるか)は襄(オダギリジョー)と共に、新築された英学校の校舎で備品の準備に追われていた。 そのころ鹿児島では、西郷隆盛(吉川晃司)が配下の不平士族らの決起を止められずに挙兵。「西南戦争」の幕が切って落とされる。政府軍に仕官した山川浩(玉山鉄二)や、警視庁の佐川官兵衞(中村獅童)や藤田五郎(=斎藤一・降谷建志)も参戦する。激戦地・田原坂で進退窮まった政府軍の大山巌(反町隆史)は、官兵衛と斎藤を抜刀隊に選抜し従兄弟である西郷に戦いを挑む。 その後、政府軍は多大な死者を出しながらも、薩摩軍を圧倒。同年9月、7か月に及んだ西南戦争は、西郷の死をもって終結した。これを最後に、士族の反乱は絶え、武士の世は終わりを告げたのだった。
襄(オダギリジョー)と八重(綾瀬はるか)は、新婚のみね(三根梓)と伊勢(黄川田将也)を連れ立って、会津への伝道旅行に出かけることにした。みねを連れて行くことにしたのは、生き別れたみねの母・うら(長谷川京子)に再会できるかもしれないという淡い期待があったからだ。 そして、八重たちはついに懐かしい故郷の土を踏みしめる。山本家が建っていた場所は長屋に変わっていたが、かすかに角場の遺構を見つけて思い出に浸る八重とみね。すると、そこへ山本家の下女だったお吉(山野海)が現れ、うらの消息について重い口を開く。八重とみねはその情報を頼りに、うらのもとを訪れ、再会を果たす。うらは立派に育った娘の姿に涙するのだった。
襄(オダギリジョー)は八重(綾瀬はるか)と共に、同志社大学の設立を陳情するため東京の勝海舟(生瀬勝久)のもとを訪ねた。 その帰りに八重たちは、山川家に立ち寄ることに。そこには、旧薩摩藩士の陸軍中将・大山巌(反町隆史)が、長期アメリカ留学から帰国したばかりの山川家の末娘・捨松(水原希子)を嫁にほしいと日参していた。旧薩摩藩士との結婚に怒りを抑えきれない長兄の浩(玉山鉄二)と、一歩も譲らない大山。そんな2人を前に、迷いを捨てきれない捨松。その様子を見かねた八重は、大山に腕相撲で勝負をつけるよう提案し、自ら対戦相手となる。熱戦の末、大山が勝利。大山と捨松の互いを思う気持ちを知った浩は、結婚を許可する。そして2人は晴れて夫婦になる。