秀忠が徳川家二代将軍となり、家康は大御所と呼ばれるようになりました。隠居といっても、家康の国づくりの夢は大きくふくらみます。泰平の世をより確かにするために、イギリス人・三浦按針(あんじん)から世界の知識や情報を吸収していました。大坂城では秀頼側近の大野修理(しゅり)と切支丹大名が手を結び、徳川のお家騒動を企んでいるとの報が入ります。