家康は、秀吉の7回忌を盛大に行った後、秀頼を右大臣に推す一方で、秀忠に将軍職を譲り隠居するつもりでした。伊豆や佐渡の金山の産出量も多く、国は富み、交易を求めて多くの外国船が来航するようになります。家康は世界を視野に入れていました。一方、淀君は、秀頼への厚遇には感謝しましたが、伏見城で秀忠に秀頼と諸大名の祝儀を受けさせようとする家康の思惑は、秀頼を秀忠の臣下にすることが狙いと見て、上洛を拒みます。