関ヶ原戦後、家康は慎重に大名の配置転換を進め、泰平の世への第一歩を踏み出しました。悩みの種は、64万石の大名となり豊臣家の莫大な黄金も受け継ぐ秀頼と、息子を溺愛(できあい)する淀君の扱いです。家康は秀吉との約束通り、孫の千姫を秀頼に嫁がせました。慶長8年(1603年)、家康は江戸幕府を開き、征夷大将軍となります。翌年、秀忠に待望の世継ぎが誕生し家康は大喜び。自身の幼名・竹千代を孫に名乗らせます。