文禄4年(1595)、謀反の罪で関白・秀次は自害、妻子は処刑。疑心暗鬼の秀吉は諸侯に秀頼への忠誠を誓わせ、淀君の妹・お江与を家康の子・秀忠に嫁がせます。慶長元年(1596)、和議交渉を重ねる明の使者による無礼な親書に激怒した秀吉は、翌年再び14万の大軍を朝鮮に派兵。しかし秀吉は「わしが寝込んだら撤兵してくれ」と家康に耳打ちし、病床に伏します。慶長3年、秀頼を家康と三成に託して秀吉は逝きました。