文禄2年、明国使者が和議交渉のため訪れましたが、秀吉の無理な条件に応じるはずはなく、もしも再度出兵となれば家康の先陣は避けられません。交渉のさなか、淀君は秀吉の子・拾い(後の秀頼)を出産。関白・秀次は将来への疑心で荒れ、拾い擁立をはかる三成は秀次乱心の風評を秀吉に吹き込みます。内紛を避けようと蕉庵(しょうあん)は、娘の木の実を使い、北政所に太閤(たいこう)と関白の和解をさせようと図りますが…。