家康は武田の高天神城奪回を進め、これを察知した勝頼は遠江(とおとうみ)へ先制攻撃をかけました。1年以上の死闘の末、高天神城は徳川の手に落ち、1年後に武田は壊滅。信長は駿河を家康に与え、安土城に招きます。家康の家臣は安土行きに反対しますが、家康は「天下人の信長が自分の扱い方を試すつもりだから、智力を尽くして駆け引きに当たる。」と言って出かけます。安土城で家康一行を丁重に接待したのは明智光秀でした。