家康は築山御前の裏切りは自分の責任と考え、浜松に御前の仮屋を作り、狂乱と見せかけて天寿を全うさせるつもりでした。ところが、御前は浜松に移される途中で家臣に刺殺されます。御前を弔った家康のもとに、今度は安土から信康処分の催促。家康同様、家臣たちも信康の脱出延命を願いますが、信康は「父のためにならぬ、身の潔白を示す」と自ら腹を切りました。行年21歳。家康はひとり居間に退いて号泣します。