信長の豪勢なもてなしを受けた家康一行は、安土、京、大坂を見物し、5月21日に堺に着きます。家康は堺で、熊の若宮こと竹之内波太郎が改名した納屋蕉庵(しょうあん)と再会。蕉庵は、光秀の動きから京に不穏の兆しありと告げます。同じ日、信長は中国攻めの準備で京の本能寺に入りました。蕉庵の予言通り、光秀は丹波の亀山城に兵を集め、6月2日早暁、本能寺を急襲。信長は濃姫とともに壮絶な死を遂げました。