<明治16年(1883)~明治19年(1886)> ・鹿鳴館開会式 ・伊藤博文が初代内閣総理大臣へ ・英船ノルマントン号事件 <内容> 明治16年、政府は外国要人との交際の場として鹿鳴館を開館。連日、舞踏会が行われる。その目的は不平等条約の改正だったが、果たして!その効果は?一方ヨーロッパでは、アフリカ進出のためのルールが決められ、植民地化が加速。 ここから20年ほどで大陸のほとんどがヨーロッパの植民地となる。ヨーロッパがアフリカに求めたものとは?さらにヨーロッパ列強は清が弱体化するなかで東南アジアにも進出。イギリスはビルマに侵攻して、イギリス領インドに併合。 フランスはベトナム・カンボジアを植民地にして、フランス領インドシナとする。そんな中で日本は、国会開設に先立ち、内閣制度を導入し、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任。列強と肩を並べようとするが、紀州沖でイギリス船の沈没をきっかけに、不平等条約の弊害が浮き彫りになる。