<明治11(1878)~明治16(1883)> ・竹橋事件 ・琉球処分 ・大隈重信政権追放 ・伊藤博文がヨーロッパへ ・岩倉具視死去 <内容> 明治14年、憲法制定と国会開設をめぐって、伊藤博文と大隈重信が対立。 その結果、大隈は政権から追放され下野。政争に勝った伊藤は岩倉具視から憲法の策定を託され、ヨーロッパで1年以上にわたって調査活動を行う。 伊藤が訪れていたヨーロッパは、ドイツのビスマルクが複雑な外交政策を行っていた。 第一次世界大戦の伏線となるヨーロッパの情勢とは。一方アメリカはこのころ、イギリスを抜いて世界一の工業国となる。 アメリカの急成長を支えたものとは。朝鮮では日本の力を借りて近代化を進める閔妃に不満を抱く勢力がクーデターを起こす。 その後も迷走する朝鮮の情勢とは。 そして国内では、明治維新の立役者、岩倉具視が死去。 伊藤博文の帰国を待ち望んだが、かなわず、その死の2週間後に伊藤が1年5か月ぶりに帰国する。