文禄4年(1595)初夏、関白・豊臣秀次が乱行を理由に自害。秀吉は、その首を河原にさらす。秀次の正室が真田昌幸の正室・山手殿の妹という関係で、昌幸は真田に火の粉が降りかかることを懸念する。その後、秀吉は再び朝鮮出兵を決める。嫡男・信幸は、家康のおかげで出兵を回避。次男・幸村は、お江との再会を果たす。そして、昌幸は、病床の叔父・頼綱を見舞うが、頼綱は真田家の行く末について昌幸に言葉を残し亡くなる。