慶長3年(1598)8月、秀吉は、家康ら五大老に「秀頼のこと、くれぐれも頼む」と遺言を残し、石田三成ら五奉行には「秀頼に忠誠を尽くす」という誓詞を書かせて生涯を終える。真田の忍び・お江は真田幸村に、「家康はいよいよ牙をむいたように見える。必ず少しずつ進みます」と告げる。そんな中、従弟・樋口角兵衛は家康方の甲賀忍びに利用されてしまう。真田家は、秀吉の死により、再び時代のうねりに飲み込まれていく。