文禄元年(1592)春、傷が癒えた真田の忍び・お江は、仲間・田子庄左衛門の助けで、甲賀からの脱出を試みる。しかし、忍び同士の死闘で庄左衛門は死亡し、お江は頭領・壺谷又五郎に救出される。同じころ、肥前名護屋に15万の将兵が集結し、名護屋城では毎夜酒宴が催されていた。朝鮮に苦戦しているというのに、秀吉は京にもう一つ城を造ると言い出す始末。嫡男・信幸は、秀吉亡き後の真田家の命運について思いをはせる。