家康は、秀頼が大坂城から出ることを拒んで戦いになる場合を想定し、ひそかに秀頼と淀君救出の手はずを整える一方、秀吉をしのぶ豊国祭の中止を命じます。それは、祭を機に反乱をたくらむ不平分子や切支丹たちを秀頼がどう抑えるか試すためでした。しかし、大坂方に家康の真意は伝わらず、片桐且元(かつもと)の解決策も失敗し、淀君も主戦論に傾きます。数千の浪人や真田幸村らがろう城し、家康はついに大坂攻略を決断します。