石田三成は、家康暗殺をはかって失敗。秀吉子飼いの仲間からも孤立して焦燥感をつのらせます。前田利家は病をおして伏見に家康を訪ね和解。秀吉の葬儀が終わり、7年ぶりに泰平の世が訪れたかに見えた慶長4年春、三成は、家康が大坂に利家を見舞うと知り、小西行長らと家康襲撃をもくろみます。三成が最後の頼みとする利家が死去し、加藤清正ら七将が三成討伐に動くと、三成はお袖の勧めで家康のもとに逃れました。