天正18年(1590)、秀吉は北条を降伏させ、家康に関八州への国替えを命じます。ライバルを東の未開地へ追いやる秀吉の思惑を逆手に取り、家康は寒村の江戸を居城と定め、着々と天下取りの準備にかかります。家康は、秀吉が天下統一した後は大陸へ出兵するはず、西に領地があれば先陣を任されると読み、東へ赴いたのです。天正19年夏、家康が恐れた通り、秀吉はでき愛する鶴松丸の死で、朝鮮出兵を決意します。