天正元年(1573)、信康は初陣の足助城攻めに出立、武田に内通する築山御前らはほくそ笑みます。足助城の兵があまり抵抗せずに退くと、血気にはやる信康は深追いするはず、その間に岡崎へ武田勢を引き入れるという武田との密約があったのです。一方、武田に城を奪われていた作手城主・奥平美作守(みまさかのかみ)は家康に密使を送り、所領の保障と家康の娘・亀姫を長男の嫁に迎えることを条件に徳川方につくと言ってきます。