「オリノコ・フロウ」は世界の歌姫エンヤの最初のヒット曲。1988年の秋にリリースされるとイギリスでは3週連続No.1を獲得。その後、この曲の人気は各地に広がり、彼女の名は世界中に知れ渡った。
エンヤはアイルランド生まれのアーティスト。ドニゴールと呼ばれる北西部が彼女の故郷だ。そこは荒々しい自然の中にケルトの文化が色濃く息づく土地。彼女の家はその地でパブを営み、家族は小さいころからパブの小さなステージで歌や楽器の演奏を披露していた。
やがてこの家族からクラナドというファミリー・バンドが生まれた。クラナドはケルトのトラッドソングを自分たちなりのモダンなアレンジで奏で、アイルランドを代表するバンドのひとつとなった。リードヴォーカルの長女モイアは後にソロとしても活動、今では、「ケルト音楽のファーストレディ」と呼ばれるほどの人気を得ている。エンヤもかつてはクラナドのメンバーとして、兄や姉たち音楽活動を共にした。トラディッショナルな要素と他の要素を組み合わせることをこのバンドでの活動を通して学んだという。
エンヤとクラナドのルーツであるケルト音楽とはどのようなものなのか。番組では、エンヤの故郷ドニゴール州グウィドーを訪ね、生家が営むパブや姉妹らが聖歌隊として歌っていた教会を回る。そして、エンヤ本人に音楽がどのように形づくられていったのかを聞く。
そして、「オリノコ・フロウ」はどのように誕生したのか… エンヤを見出し、アルバム『ウォーターマーク』の制作を依頼、「オリノコ・フロウ」の歌詞にも登場するWEA UKの当時の会長ロブ・ディケンズに