天正4(1576)年、梵天丸(藤間遼太)の弟・竺丸(じくまる)が誕生。お東の方(岩下志麻)は、輝宗(北大路欣也)に竺丸を自分の乳で育てたいと言い、ちょう愛する。天正5(1577)年、梵天丸の元服の儀が執り行われ、名を「藤次郎政宗」と改める。政宗は、母から水晶の数珠を贈られ、数珠を母だと思い、大切にすることを誓うのだった。これを期に、虎哉宗乙(大滝秀治)は、政宗に今までより一層厳しい教えを施し始める