<明治32年(1899)~明治36年(1903)> 軍部大臣現役武官制 八カ国連合軍が北京へ侵攻開始 日英同盟 日本がロシアとの開戦準備 <内容> 今回は、日露戦争へと向かう日本とロシアの動きを中心に紹介する。日清戦争後、中国の弱体化を知った列強は、様々な権益を獲得し中国国土を分割した。 それに対し中国の民衆の怒りが爆発。宗教結社“義和団”が、清を助けて外国勢力を滅ぼそうとする「扶清滅洋」をスローガンに武装蜂起。さらに、これに乗じ、清朝政府は英仏露日を含む列強八か国に対し宣戦を布告。清と列強の戦い、北清事変へと発展する。北清事変が列強の勝利で収束するものの、ロシアが義和団の討伐を理由に満洲に侵入。 16万の兵で満洲を占領してしまう。危機感をもった日本は、世界各地でロシアと勢力争いをするイギリスと同盟を結ぶ。しかし、ロシアは満洲からさらに日本の利益線、つまり防衛ラインと決めていた朝鮮半島に侵入し軍事基地を建設。満洲では東清鉄道を開通させ、旅順の要塞化を始め占領を強化。日露の緊張は日増しに高まっていく。