田沼意次は、600石の旗本を振り出しに、5万7000石の大名にまで出世する。様々な経済改革により、ひっ迫していた幕府の財政を安定させた。ところが、従来の価値観に縛られない意次の改革に反発を抱く諸大名も少なくなかった。息子・意知殿中刺殺事件を契機に、意次への反感が一気に高まった。打ち続く飢饉(ききん)と打ちこわしが追い打ちをかけ、意次は、つらい立場に。意次の究極のピンチ打開策は?