技術立国を目指してきた日本。ところが今、世界の中で大きく低迷している。終戦直後の混乱期を駆け抜けた経営者・本田宗一郎に、衰退しない日本のヒントを探る。 浜松の鍛冶屋の息子に生まれた本田宗一郎は、昭和3年、22歳で故郷・浜松で自動車の修理工場を開業、一国一城の主となった。一時、高等工業学校の聴講生となり、技術を学んでエンジンのピストンリングという精巧な部品の生産に成功した。ところが、太平洋戦争が勃発し、ゼロからの出発となった。宗一郎は、「人間休業宣言」をして、あらたなビジネスチャンスを探る。昭和のイノベーション男・宗一郎のしたたかな選択をたどる。