北条軍の攻撃を受け、名胡桃(なぐるみ)城はあっけなく落城。真田昌幸の愛妾(あいしょう)お徳が犠牲となった。自分の母を重ねていた次男・幸村は、お徳の死を知り深く悲しむ。天正18年(1590)正月、秀吉からの出陣命令がでる。昌幸は約3千の兵を率いて出陣。上杉勢、前田勢と合流し、北条の本拠地・小田原へ向かう。秀吉は25万もの軍勢で小田原城を完全に包囲。北条は数か月にわたり城にこもり続けるも、敗北する。