世子の命を助けるため、前右議政で判府事のチョ・ジェホが都城に駆けつける。しかし世孫が亡き孝章世子の養子になれば世子妃は大妃になれないと案じたホン・ボンハンは、世子の死を望む老論派のキム・サンノや王妃の父キム・ハングと結託し、チョ・ジェホを陥れる。世子が米びつに閉じ込められて1週間が過ぎても英祖のもとには救命を求める上書が届かなかった。8日目の英祖38年(1762年)5月20日、世子は父王への愛をつぶやきながら息を引き取る。