秀吉は、養子にする於義丸(おぎまる)に父の家康を同道させ、大坂城で臣下の礼を取らせる魂胆でした。しかし、病気を理由に重臣の石川数正が代行します。天正13年(1585)、秀吉は内大臣に昇進。家康のもとには第二の難問が届きます。秀吉は佐治日向守に嫁いでいた実妹の朝日姫を離別させ、家康の正室に迎えよと言うのでした。日向守は憤死し、朝日姫は天下のためにと再縁を承諾。断り続けた家康も天命と受け入れますが…。