岡崎への無血入城に失敗した勝頼は、矛先を長篠に転じました。守るは奥平九八郎と手勢500。1万5000の武田勢に包囲され、本丸に立てこもって援軍を待ちます。ついに信長が、3500挺の鉄砲隊を含む2万の兵を率いて岡崎へ到着し、家康との連合軍4万が出発。天正3年5月21日、長篠で決戦の火ぶたが切られました。この戦いで、日本最強を誇る武田の騎馬隊は、三段構えの鉄砲隊に粉砕され、退路まで断たれて惨敗します。