今川の支配を脱した元康は、岡崎衆としての独立を機に名を家康と改め、三河統一を狙います。一方信長は、娘を家康の息子に嫁がせ、わが子に甲斐・武田の娘を迎え、東国の安泰を図った上で京を目指そうとしていました。そんな折、岡崎領内に一向一揆が起こります。領民の多くが一向宗の門徒で、家中は殿と仏のどちらを選ぶかで大騒動。家臣の中から謀反者も出ます。武力で抑えようとする家康に、母・於大は仏の道を説くのでした。