甲府から川中島までは約160キロ。村上義清の葛尾城攻めを前に、晴信(後の信玄)は棒のごとく真直ぐな道を作り、のろし通信を駆使して情報の伝達を行いました。母の大井夫人は「そなたが守る国は信濃と甲斐の二国じゃ。天下とは悪しき夢…」と言い残し、晴信の行く末を案じながら、この世を去りました。