徳川家康のいとこにして知られざる戦国武士 水野勝成(みずの・かつなり)。戦場ではいつも「一番やり」の猛将だった。勝成が生きたのは、乱世から太平へ時代が激動しつつあったころ。勝成の人生も、家を追い出されたり、放浪したり、大名になったりとまさに激動。しかし、世のしくみが、価値観が変わろうとも、勝成は決して己を曲げなかった。よわい70を過ぎてなお戦場に出た「戦国ラストサムライ」をご紹介。
実は縄文人の土偶は妊娠した女性を像にしたもの。おなかにあるのは、妊娠すると腹部にあらわれる「正中線」。一見奇怪で空想の産物にみえる造形も、当時あった女性の髪形やお化粧と重なります。そして服装はふだん着でなく着飾った姿。「晴れ着の妊婦さん」の像は何を意味しているのでしょうか?
日本人が大好きな「野球」は、戦争の時代 姿を消しました。「中等学校野球」――今の高校野球で投手だった阿部 正も過酷な運命をたどります。突然の大会中止、廃部、出征、そして……。「戦争の役に立たない」と否定された野球を、命がけで守った悲劇のエースのメッセージ。
武田信玄の一代記「甲陽軍鑑」には「末書(まっしょ)」という補足の巻がありました。長らく巻名のみ伝えられ内容は一部しか知られていませんでしたが、近年 全文が確認されました!末書を詳細に読んでいくと、信玄の意外な側近、信玄の秘めたる野望など、驚くべき新事実が次々と!!
日本人の食と切っても切れない「ラーメン」。ラーメンのルーツのひとつは大正時代の札幌にあった!「革命」のあおりで北海道へやってきた外国の人々に、食堂のおかみが出した「麺」とは…北の大地の、ラーメンにつながる奇跡。
福井藩の藩医の家に生まれた橋本左内は15歳で「啓発録」を著すなど、早くから天才ぶりをあらわしていました。期待にたがわず、藩主・松平春嶽の抜てきを受け政治の表舞台で活躍する左内。西郷隆盛も心酔したその才知で、左内は来たるべき近代日本の姿を予言するような手紙をしたためます。
まず世界遺産に登録された地域の美しき教会群へ!「海の天主堂」に「国宝の教会」「ドロなのに?石づくりの教会」など、どの教会でもそこかしこから見えてくるのは、教会づくりに身をささげた外国人神父たちの情熱…。美しい教会の知られざるドラマを訪ねます。
およそ700年あまり前「友好」の名で大陸のモンゴル帝国が日本へ送ってきた国書には、なぜか武力をちらつかせる「脅し」が…。当時日本で力をもっていた鎌倉幕府はこれに激しく反発。ろくな外交交渉もないまま前代未聞の戦い「蒙古襲来」は始まったのです。
明治の秀才青年・山極勝三郎は医学、特に病の原因をつきとめ治療に生かす「病理学」を生涯の仕事と定めます。3年のドイツ留学で最新の病理学を学んだ山極は帰国後、当時あまり知られていなかったある病の恐るべき脅威に気づきます。その病とは「がん」――。
足利義満は幼くして試練に見舞われました。4歳にして敵軍に襲われ、10歳で父と死別。幕府重臣の細川頼之(よりゆき)が父代わりとなりますが、その頼之も反対派によって、幕府のある京都を追放されてしまいました。そこで義満がとった策は、武士ではなく公家として昇進すること…?
九州の炭鉱実業家に嫁いだ柳原白蓮は、満たされぬ思いを歌に込める日々を送っていました。そんな時 出会った帝国大学の学生に、白蓮は恋心を燃えあがらせ駆け落ちします。そして白蓮がおこなった前代未聞「夫への絶縁状」の新聞掲載。この大胆な行動の行方は……?
数ある日本刀でも名刀中の名刀が、現在国宝の「名物三日月宗近(めいぶつ みかづきむねちか)」です。三日月宗近は、平安時代の京都でも屈指の刀鍛冶だった三条宗近がきたえたもの。世界でも類のない武器、工芸品「日本刀」のルーツの一つとされますが、宗近がそこに込めたのは「大いなる願い」…。
動物が大好きだった8代将軍徳川吉宗。江戸城に秘蔵されていた動物図鑑をながめては海外の犬や馬について調べさせていました。なかでも心ひかれたのは象!吉宗が財政危機への対処など江戸幕府の改革に取り組んで10年あまり経った頃、ついに念願の象が長崎に到着します。
時代が明治に変わるなか起こった戊辰戦争、その初戦こそ「鳥羽伏見の戦い」。激突した旧幕府軍と新政府軍の戦力は、旧幕軍が圧倒的に有利でした。しかし戦端を開いた時、弾も込めずに進撃した旧幕軍に死傷者が続出。戦いはのっけから両軍にとって予断を許さないものに……。
生まれもさだかでない浪人から身を起こし、50過ぎで国を盗って大名になりあがったといわれてきた北条早雲。しかし、最新の研究によってまったくことなる実像が浮かび上がってきています。やんごとない身の上?年は20歳以上も若かった?何より当時いちばんのエリートだった!?
天皇陛下が誕生された1933年、45歳で慶應義塾塾長となった小泉信三。しかし、やがて勃発した太平洋戦争で多くの塾生を送り出し、海軍士官だった長男も失います。自身も空襲で命にかかわる大火傷を負った小泉。終戦となってすぐ、その彼に皇太子、のちの陛下の教育にあたるよう「御沙汰」が……。
最近見つかった古記録「針薬方(しんやくほう)」。そこには明智光秀がある籠城戦に加わり、しかもそのさなか医術を口伝したと書かれていました。実はこれ、特に前半生が謎の人物・光秀について最古の動向を知らせる史料。しかも単に当時の状況だけでなく、光秀「出世」の理由を明かす手がかりにも…!
大正時代、水泳の名選手が数多く練習した和歌山県・紀ノ川で元気に泳いでいた前畑秀子は、12歳で学童新記録を出すなど「天才水泳少女」として日本全国に知られるように。前畑の家はけっして裕福ではありませんでしたが、家族や地元の応援を受けながら一流選手への道を歩み出します。
滋賀県甲賀でのフィールドワークなどを通じて甲賀忍者を研究している磯田道史さん。注目の史料は尾張藩士が著した忍術書「用間加條伝目口義」です。甲賀忍者である木村奥之助が、老いて語ったことをそのまま記したというその内容。丹念に追っていくと、ほんとうの忍者の姿が見えてきました。
かつて、一代で油売りから戦国大名にのし上がったといわれていた斎藤道三。しかし、新史料によって父と二代がかりだったことがわかってきました。目的のためには手段を選ばない姿勢は父親から?いかにして主君の土岐家から美濃国を奪ったのか?最新の見方からThe下克上・道三の実像に迫ります。
幕末の日本にフランスから軍事顧問団がやってきました。彼らのミッションはただ一つ、徳川のサムライを近代軍に変えること。新部隊「伝習隊」が編制され、姿勢や体の動かし方など一から訓練がおこなわれます。そして実戦の時。伝習隊は、破壊活動の浪士たちが潜伏するとおぼしき江戸の薩摩藩屋敷へ!
日本に「鉄」が伝わった弥生時代。中国や朝鮮半島の鉄が、壱岐などを通じて日本列島にもたらされました。鳥取にある弥生時代の遺跡で見つかった出土品を調べると、鉄によって人々の暮らしが大きく変わったことが明らかになってきました。「鉄」は弥生ニッポンに何を起こしたのか?
奈良・法隆寺の壮麗な建物や宝物はなぜ生まれ、今に伝えられたのか。その答えを知るには、法隆寺創建にまでさかのぼらなければなりません。聖徳太子による建立。最大の庇護(ひご)者たる太子の死後、寺を襲った数々の災難。その法隆寺を守ったのは、聖徳太子が説いた仏教の教えでした。
創建から1300年、史上初の全面解体修理が進む薬師寺東塔。その過程で驚きの事実が次々と明らかになっています。部材の数は1万、しかもほとんどが最高品質のヒノキ。現代建築とそん色ない耐震性。塔の下、土台からは、古代の人々の薬師寺に寄せた心が浮び上がってきました!
太平洋戦争さなかの1943(昭和18)年9月に発生した鳥取地震。被害は新聞などで報道され、義援金も全国から集まりました。直後の帝国議会では復興に関する質問がおこなわれますが、時の内閣総理大臣 東条英機がそれをさえぎります。地震被害を隠す――そのきざしは、この時からありました。
昨年存在があきらかになった1個の茶碗。それが大阪市立東洋陶磁美術館で科学的に調査されることになりました。高倍率顕微鏡や8Kカメラ撮影などによる分析から、浮び上がってきたのは器の内面の白い斑文と青い光彩。これは茶碗の至宝「曜変天目」に似たものなのですが・・・。
長崎生まれの実業家・梅屋庄吉は26歳の時、香港で革命家の孫文と出会います。アジアの平和を夢見た梅屋。今で10億円ともいわれる資金を送り、孫文たちの革命活動を後押しします。250年続いてきた清王朝打倒にたちあがった2人の闘い。
後醍醐天皇に招かれ鎌倉幕府との戦いにたちあがった楠木正成。わずか数百の軍勢で小さな山城に拠った正成たちは、しかし何万もの幕府の大軍を苦しめます。それを可能にしたのは従来の武士には考えもつかない戦い方。石や熱湯、ニセの城壁で大打撃を与え、ついには「正成戦死」擬装作戦まで・・・・・・
青森県にある弘前城は江戸時代初めに築かれました。今では桜の名所として知られていますが、実は戦いに備えた本格的な城郭です。主君のいる本丸を幾重にも守り、各所に敵を苦しめるつくり。地形を巧みに利用し城下町も守りの一部に。弘前城は何と戦うつもりだったのか――それは「北のおさえ」のため。
正倉院宝物の常識がくつがえろうとしています。進む調査で、海外製と考えられてきた正倉院宝物の90%以上が、実は日本で作られた「国産品」!? 宝物づくりの中核組織として、奈良の都にあった天皇家専属の工房「内匠寮」の存在も浮かび上がってきました。宝物誕生の謎に迫ります。
幕末、サムライ姿の福沢諭吉がアメリカで撮ったちょっと不思議なツーショット写真。そこに込められていたのは、下級武士の家に生まれ、きびしい身分制度に苦しみながら育ちアメリカに至った福沢の「気づき」でした。のちの「一身独立して一国独立す」、その信念を抱くまでの若き日の苦闘。
江戸時代、大雪、雪どけによる洪水、火災の多発などに悩まされてきた富山藩。殿様である前田正甫(まさとし)は藩繁栄のために、収集していた反魂丹などの「薬」を全国へ売り出そうとします。富山の地を苦しめた雪どけ水も薬作りには好条件。ピンチをチャンスに変える富山の挑戦が始まりました。
松永久秀「ナンバー2」の手腕は、大名・三好長慶の下で開花しました。敵は足利将軍に大寺院勢力。久秀はいくさで血を流すことなく、知略で主君長慶を「天下人」に押し上げます。発見された肖像画、大河ドラマ「麒麟がくる」久秀役の俳優 吉田鋼太郎さんのインタビューもまじえて真実の久秀に迫ります。
奈良時代の終わり、日本は疫病や災害に苦しめられていました。このとき、比叡山に籠もり、修行を重ねていたのが最澄です。国家鎮護を第一としていた当時の仏教。そんな中、最澄は法華経の一節に心を揺さぶられます。それは「誰でも仏になれる」という教えでした。
今もドラマやゲームに数多く登場する織田信長。そうしたものの中の信長像には、戦国当時の太田牛一やルイス・フロイスといった信長を間近で見た人々の記述が色濃く反映されています。それらの文章から、はるかのちの戦後に「改革者」というイメージがかたちづくられ、現代「信長」像となったのです。
戦争が終わった頃、正統派の歌手をめざしていた20歳の植木等は、いつのまにかコミックバンドの道へ。作曲家・萩原哲晶や作家・青島幸男と出会い、植木の鼻歌をテーマにした曲作りが始まります。どんな歌ができあがったのか?そこには、時代からはぐれた男たちの見た当時の日本の姿がありました。
14世紀、世界を恐怖のどん底にたたき落とした感染症・ペスト。ヨーロッパでの死者はおよそ3000万人、人口の1/3が消えたといわれています。最悪のパンデミックを引き起こした原因は「3密」「不要不急の移動」――いまや聞き慣れたこの2つだったのです!
土偶の一風変わった造形は、女性のからだ、特に妊娠した女性をあらわしているという説が有力になっています。一方、縄文の集落では、人々の暮らす家々が囲むようにお墓を置いた形跡が。縄文人の土偶、土器には「いのち」「再生」への意識、願いがあったのでしょうか?
全国で数十万人もの死者を出した感染症・コレラ。当時、原因も治療法も分からない未知の病でした。多くの医者が治療をあきらめる中、緒方洪庵がとった対策は徹底した情報共有。最新の西洋医学書の抜書きに自身の臨床体験談をまじえたコレラ対処本を緊急出版します。大江戸トップドクターの闘い。
満州国皇帝の弟である愛新覚羅溥傑に嫁いだ日本の嵯峨侯爵家の令嬢 浩、それは政略結婚でした。それでも愛を育み、家族となっていった二人を戦争の時代が翻弄します。16年ものあいだ引き裂かれることとなった夫婦を結び続けたのは「手紙」でした。
2014年10月、NHKはハワイ大学と共同で、ハワイ・オアフ島沖での潜水調査を実施しました。そして伊400の最も重要な部分ともいえる「格納筒」を発見。初めて撮影に成功しました。海底に眠る伊400の映像、そしてCGで幻の巨大潜水艦がよみがえります。
ガダルカナルの戦いは日本陸軍・一木支隊の戦闘から始まりました。916人の一木支隊が戦ったアメリカ軍部隊の兵力は10倍以上の1万あまり。ケタ違いの戦力差を前に一木支隊は全滅します。この無謀な作戦を立案したエリート参謀たちは、楽観的な見込みしかせず敵を正確に把握していなかったのです。
首里城など沖縄の城は「グスク」と呼ばれます。本土より200年も早く石垣を持つなど先進的でした。首里城の長大な石垣には大陸の築城技術もかいま見えます。それを可能にしたのは沖縄の島々がアジアの交易、文化の流れの中継点という地理的条件。そのことは「琉球王国」誕生にもつながっていきます。
モンゴル帝国の軍勢が大船団で攻めてきた「蒙古襲来」。九州・博多でこれを迎え撃った日本の武士は未知のモンゴル軍の武器・用兵に苦戦したといわれます。しかし、戦いを描いた絵巻物などから、武士たちも地道な偵察や有効な戦法で必死に対抗、敵撃退につなげていたことがわかってきました。
巨匠・小津安二郎の映画では、家族の物語が淡々と描かれています。しかし、小津自身の若き日々は淡々とはほど遠いものでした。校則も受験もお構いなし。映画鑑賞にのめり込み、そのまま映画界へ進みます。その小津が監督デビュー出来たのは、一皿のライスカレーのおかげだった!?
自然災害、疫病の流行などを「鬼」のしわざと恐れおののいていた平安時代。それらの災いを封じ、人々の不安をはらったのが「陰陽師」です。京の都一の陰陽師・安倍晴明は斬新な「術」を駆使し、天皇から庶民まで人々の心を支えました。それらの「術」も再現、晴明の謎めいた実像に迫ります。
朝ドラ・エールでおなじみの作曲家・古関裕而。「栄冠は君に輝く」や「長崎の鐘」などの名曲はどのようにして生まれたのか。日本人を励まし続けたメロディー誕生に迫る。 ◇番組内容 連続テレビ小説「エール」でおなじみの古関裕而。「栄冠は君に輝く」や「長崎の鐘」などの名曲を生み出した作曲家だ。古関は、太平洋戦争のさなか、多くの軍事歌謡を手掛けていく。その歌を歌いながら、多くの若者が戦地で命を散らしていった。戦後、古関は、その事実に苦しみながらも、新しいメロディーを作り上げる。それは、日本人すべてに向けられた応援歌だった。激動の時代に響き続けた古関のエール、誕生の秘密に迫る。
エピソード1 足利義輝 戦国を斬る 足利義輝は行動力に富んでいたが…… 力を失っていた戦国時代の室町幕府と足利将軍。13代足利義輝も例外ではありません。有力大名の三好長慶に京を追われる義輝……が、卓越した外交力で逆に三好を幕府に取り込みました。幕府再興は成るか。しかし、そこに起きた驚天動地の事態が「将軍襲殺」でした。 エピソード2 足利義昭 志を継げ 兄・義輝の志を継いだのが弟の15代将軍足利義昭です。これまで義昭は、自身の上洛を援助してくれた織田信長の操り人形だったと考えられてきました。しかし、最新の研究では足利・織田連合ともいえる対等なかたちの政権を形成、義昭もいかんなく影響力を発揮していたことがわかってきています。 足利義昭はお飾りの将軍ではなかった エピソード3 不滅なり 室町幕府 義昭がいた鞆・常国寺に残る足利将軍家家紋 やがて深刻な対立におちいった義昭と信長。義昭は信長を討つため挙兵するも敗北、追放されて室町幕府は滅亡……と思いきやその4年後、強豪・毛利氏勢力下の鞆(とも 岡山県)で頑強に抵抗していました。その策略は、信長をあわやというところまで追いつめます。 参考文献 『足利義輝・義昭 天下諸侍、御主に候』(山田康弘 ミネルヴァ書房) 『天下人と二人の将軍』(黒嶋 敏 平凡社) 『信長と将軍義昭』(谷口克広 中公新書) 『謎解き洛中洛外図』(黒田日出男 岩波新書)
紫式部が書いた長編恋愛小説「源氏物語」。その最古とみられる写本が発見された。写本を書いたのは鎌倉時代の歌人、藤原定家。和歌の神様ともいわれる人物だ。私たちが今、源氏物語を読むことができるのは、定家が書き写しを精力的におこない、文面を後世に伝えてくれたからだった。貴族から武士の世へと移り変わる鎌倉時代、伝統文化を必死に守り伝えようとした定家。「源氏物語」をめぐる、知られざる苦闘、感動の秘話。
完成から1300年、日本最古の正史「日本書紀」。謎多き歴史書から見えてきたのは日本誕生の知られざる物語。スサノオの子孫が守るヤマタノオロチの骨!?謎の古墳群と出土品から神話の舞台・出雲の実態に迫る。オオクニヌシからアマテラスへの“国譲り神話"に秘められた史実とは!?なぜ日本書紀が必要だったのか?最新研究が語る中国人と日本人との合作説!古代日本最大の政治家・藤原不比等の編纂に込めた狙いに迫る
最近注目されている“鬼"がテーマ。京都府北部の大江山には、昔からいくつも鬼退治の伝説が残されている。最も有名なのは、都で悪逆非道を働いた鬼の王・酒呑(しゅてん)童子を討った源頼光(らいこう)の物語。さらには飛鳥時代、聖徳太子の弟・麿子親王による鬼退治も。番組では、鬼退治を伝説と史実の両面から徹底検証。鬼の正体、そして鬼が生まれたわけとは?その謎に迫る。
冬の歴史風物詩といえば、昔も今も「忠臣蔵」。赤穂浪士たちのあだ討ち事件は、現代でも人々を魅了しているが、それは一体なぜか。さまざまな資料からこの間の赤穂浪士たちを追うと、「理不尽に立ち向かう」、「最愛の人との別れ」、「決してあきらめない」といった、いつの時代も人々が共感する要素にあふれていることがわかる。彼らの揺れる心や温かいまなざし、そして目標を成し遂げるまでの覚悟に思いをはせる。
江戸時代の後半、日本と世界をつなげた地図があった。大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)。伊能忠敬らにより作られたことから伊能図とも呼ばれている。海岸線など日本の形が正確に描かれ、幕府により門外不出の国家機密となった。この地図を入手しようと暗躍したのが、あのシーボルト。そして、幕末、この地図に導かれ、アメリカのペリーやロシア艦隊が来航。日本は動乱に巻き込まれることに。地図が紡いだ物語。
学問の神様・天神様として知られる菅原道真。平安時代に活躍した貴族だ。政争に敗れ、大宰府に流され、非業の死を遂げた道真。その後、都では怪事件や天変地異が巻き起こる。当時の人たちは、これを道真の怨霊の仕業と恐れおののいた。しかし、いつしか道真は、天神様としてまつられるようになる。なぜ、怨霊は神になったのか?理由を探るため、道真ゆかりの地を調査。1000年愛され続ける天神様誕生の物語をご紹介する。
現代でも有名で、そのユニークな絵を好きな人も多い絵巻、国宝「鳥獣人物戯画」。しかし作者や制作の経緯などは一切不明な絵でもある。走るウサギや相撲をとるカエルで何が描かれようとしていたのか。作成時期とおぼしき日本の中世期の人々の心理を考えると見えてくる、鳥獣戯画の意外な一面。そして「国宝」となるには連続する「奇跡」があった。みんな大好きな鳥獣人物戯画の楽しさ、深さを味わい尽くす。
徳川家康の危機を救ったのは、史上最大級の内陸地震・天正地震だった!?ほかにも江戸時代の浅間山大噴火で大きな被害を受けながら、奇跡の「復興」を果たした村人たちの絆。そして関東大震災を経て「防災」に人生をかけた地震学者の思いを紹介。東日本大震災から10年。歴史上、数えきれないほど起き、そのたび日本人ひとりひとりの暮らしはもちろん、日本そのものの行く末をも左右した地震・津波・噴火などの巨大災害に迫る。
全世界で累計販売数1.49億本以上、タイトル数の多さでギネス世界記録にも認定されたロールプレイングゲーム「ファイナルファンタジー」。NHKで実施中の人気投票・気になる中間結果を発表!さらにその人気の秘密を、制作の中心となった3人のクリエイターへのインタビューを元に、革新的ゲームシステム、映画のようなグラフィックと音楽、感動的な物語の3ポイントから、解き明かす!懐かしいあの名場面、名曲も登場!?