太平洋戦争で、様々な悲話が残されているのが"特攻隊"の兵士たちです。 死を覚悟して戦地へ向かった兵士たちの中には、家族や友人、恩師に向けてのメッセージを録音して、ラジオ番組で紹介される人もいました。そしてそれは、まさに彼らの最後の肉声…となったのです。死を覚悟した兵士たちは、どのような心境を語ったのか?どのような声を発していたのか?果たして最後のメッセージとは…? ラジオ番組で放送された音源から、兵士たちの心の奥底にあったであろう、"話したくても話せなかった"真のメッセージを読み解きます。 また一方で戦局が悪化すればする程、ラジオは無くてはならない情報ツールでした。 戦意高揚を図る番組も少なくなり、アメリカ軍による空襲情報を知らせる内容などに変化していったのです。中には、「B-29爆撃機とP38戦闘機の爆音の違いとその時の避難について」を知らせる番組までありました。国民にとって欠かすことができなかったラジオからの情報とは、どのようなものだったのでしょうか? さらに日米それぞれが"最新メディア"ラジオの電波を軍事利用。相手国の戦意を喪失させる目的で、嘘の情報や怪情報を電波に乗せるなど熾烈な謀略合戦を繰り広げました。"見えない爆弾"とまでいわれたラジオを利用した情報戦の真実とは? そして戦争の終わりを天皇自らが告げた「玉音放送」も、ラジオから流れた音声でした。 しかし、その放送直前には、一部将校たちによる「玉音放送」を阻止しようという決起行動もありました。今回の番組では、人々に"情報を伝える"はずのラジオ電波を巡って繰り広げられた、戦時中