秀吉は京都奉行の一人として、政治、経済の改革を断行する信長の下で懸命に働いていた。一方、信長の武力を借りて将軍の座を得た足利義昭は、政治の実権を握る信長への苛立ちを募らせ、信長を副将軍に任じて臣下の礼をとらせようとした。信長は怒るが、光秀の進言を入れ、将軍家の桐と二引両の紋所だけは受けることにした。