西村屋与八

宝暦のころ(1750年代)から錦絵を手がけ、鈴木春信などの有名な絵師ともつながりを持ち、一代で江戸を代表する地本問屋となる。蔦屋重三郎(横浜流星)と、現代の「ファッションカタログ」の先駆けとなる吉原の女郎をモデルに呉服屋とタイアップした錦絵のシリーズ『雛形若菜初模様』を共に手がけることになる。その後、鳥居清長らの「美人画」を数多く手がけ、二代目も含めて蔦重のライバルとして江戸の出版界を共にけん引していくことになる。