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~室町時代~#47 「後醍醐天皇!建武の新政・討伐計画・足利尊氏が反旗」

京に凱旋した後醍醐天皇は天皇中心の政治体制を築くも、足利尊氏が反旗を翻し、またしても戦乱の時代へ。 ●1333年 6 月“島流し”から異例の復活を果たした後醍醐天皇は京に戻り、1334年 1 月「建武の新政」を唱え、天皇中心の政治体制を確立。しかし、武士や公家からも多くの不満が起こり、2年で挫折する。 ●1334年5月、護良親王による足利尊氏討伐計画が発覚。事前に阻止するも、黒幕は後醍醐天皇ではないかと尊氏は疑い、その後、足利尊氏と朝廷側との信頼関係は崩れていく。 ●1335年8月、足利尊氏は自ら征夷大将軍を勝手に名乗り、後醍醐天皇に反旗を翻す。対立はどんどん激化していき、1336年1月、後醍醐天皇は、新田義貞や楠木正成、北畠顕家らで連合軍を編成し足利軍を攻撃。結果、足利尊氏は敗退し、九州へと逃げることになる。 <内容> 鎌倉幕府が滅亡し、隠岐に流されていた後醍醐天皇が京に戻る。後醍醐天皇は鎌倉幕府が擁立した光厳天皇を上皇にして、再び皇位につくと、討幕に活躍した足利高氏に「尊氏」の名を与える。後醍醐天皇は、それまでの武家政権を否定し、天皇がトップに立つ政治改革、建武の新政を断行。しかし、この新しい政治体制は、武士からも公家からも不満が噴出。建武の新政は失敗に終わる。その後、醍醐天皇は、良好だった足利尊氏との関係が次第に悪化。そんな中、鎌倉で反乱が起こり、足利尊氏は後醍醐天皇に無断で鎌倉に出陣。乱を鎮めると、そのまま鎌倉に落ち着き、征夷大将軍を自称。実質的に武家政権を復活させる。後醍醐天皇は足利尊氏のライバル、新田義貞に足利尊氏討伐の命令を出す。楠木正成も参戦し。ついに後醍醐天皇、新田義貞、楠木正成と足利尊氏との戦いが始まる。

日本語
  • Originally Aired March 4, 2023
  • Runtime 46 minutes
  • Network BS-TBS, BS-TBS 4K TBS (JP)
  • Created March 3, 2023 by
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  • Modified March 3, 2023 by
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