吉宗は享保の改革を推進するが、大飢饉やそれに発する打ちこわしなどや、長男・家重の所行に頭を痛めていた。 また、尾張藩主の徳川宗春は、吉宗の質素倹約を旨とする政治方針にことごとく反発し、藩内で華美な開放政策を実施するのだった。