昭和20年11月、ナチスドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク国際軍事裁判が開廷。ヘルマン・ゲーリング、ルドルフ・ヘスらナチスの中枢にいた24人の戦争責任を問う裁判が始まる。裁判では、ナチスが約400万人のユダヤ人を虐殺した事実が初めて明らかにされ、世界中に衝撃を与えた。一方、日本でも、指導者たちの戦争責任を問うため、12月2日に廣田弘毅元首相、平沼騏一郎元首相ら59人、6日に近衛文麿元首相、木戸幸一元内相ら9人がGHQからA級戦犯に指名され、出頭を命じられる。昭和天皇に近い近衛や木戸、皇族の梨本宮守正王が戦犯指名された背景には、天皇の戦争責任に対するマッカーサーの思惑があった。そのGHQは、民主化政策として、農地改革指令、国家神道を廃止する神道指令を相次いで発令する。そして12月16日、戦犯として出頭命令が出ていた近衛文麿が自殺。遺書には戦犯指名されたことへの無念さが綴られていた。