終戦から1か月、連合国軍が日本をどのように統治していくのかが具体的になってきた昭和20年9月半ばからを詳しく見ていく。報道機関には「プレスコード」と呼ばれる、守るべき基準が示され、連合国軍を批判する記事は規制された。また9月から再開した学校では戦中の教科書から軍国主義を連想させる部分を塗りつぶした「墨塗り教科書」が使われた。そしてこの時期、日本政府にとって大きな関心事だったのが「天皇制の維持」だ。政府が天皇制維持のために「天皇とマッカーサーの会談」を模索する中、外相・吉田茂が動き、約35分間の会談が実現した。その会談で二人は何を語ったのだろうか…日米に残された記録は微妙に食い違っていた。