慶長19年(1614)10月、真田信之の嫡男・信吉を総大将とする真田軍が出陣。同じころ、家康も駿府を出発し、西へ向っていた。一方、大坂城では、城を出て先手を打つべしという幸村の提案を淀君がはねつけ、籠城(ろうじょう)と決まる。幸村は大坂城外に真田丸という出丸を築き始める。ここに徳川軍の主力を引き付けることが狙い。この話を聞いた信之は思わずほほえみ、ひそかに幸村の健闘を祈る。