終戦の年1945(昭和20)年4月、情報局五代目総裁に就任。直前まで日本放送協会の会長を務め和田信賢アナを信頼していた。会長退任の挨拶で「終戦のために就任する。殺されてもよい」と明言。国務大臣の情報局総裁として終戦工作に奔走し、ポツダム宣言受諾を働きかけ、天皇の「玉音放送」を実現させた。